ちっく
映画の批評。脚本家視点なので映像的にどうとか役者の芝居がとかはあまり書けません。
演劇、舞台の批評。僕は脚本家なので演出がどうとか、芝居の上手い下手とかにはあまり興味がありません。あくまで脚本の批評と思ってください。
公開4日目かな。2023年7月17日に観に行きました。そして今、この文章を書いているのが7月18日から19日にかけてです。 ただししばらくは公開しないでおこうと思います。事前に予告やCMを打たず、パンフレットも後日発売と、情報を極力出さないというのが宮崎駿監督やスタジオジブリの意図なので。少しでも創作や表現に関わっている人間として、彼らの思いや狙いを尊重します。 そろそろいいかなと思って一旦公開します。でももっかい観にいって原作も読んで書き直したいと思ってます。 正直、
『花束みたいな恋をした』をNetflixで観ました。タイトルが甘ったるすぎてあまり観る気がしなかったのですが、『怪物』がとても良かったので、坂元裕二さんの脚本ということで観てみました。 モノローグの使い方 まず思ったのは、最初に二人が再会したところから始まって、物語全体を回想にする手法が取られているおかげでモノローグを自然と受け入れられる構成が巧みだということです。 普通は回想もモノローグもNGなんですよ。どちらも物語を説明するために使われる便利な手法だから、下手に使う
実は原作読んでないのですが、ドラマはある程度観てます。「くしゃがら」の回は大好きだし、映画を観る当日もテンションを上げるために「富豪村」の回を見たという程度のにわかファンです。 画面を斜めに使ったり、人物を端に配置したり、ルーブルの絢爛さが際立つ構図になってたりしてすごく凝ってました。 でも脚本はもひとつだったと思います。 肝心のタイトルになっているルーヴルである必要がなかったと思います。 「ルーヴルへ行く」って、単にルーヴルに行きゃ良いってもんではないです。ルーヴル
素晴らしい作品でした。 母親と教師と本人。視点が変わるとこんなにもものの見え方が変わるのかということを実感させられました。単に映画を観たというだけでなく、"体験した"と思える凄みがあり、是枝監督ってここまで来たんだ!っていう感動がありました。 ジェンダー、いじめ、モンスターペアレンツ、教職者の質やモラルの低下、マスコミ報道の危うさ、メディアリテラシー、児童虐待、シングルマザー、冤罪、自然災害、放火、犯罪者心理、自殺、殺人、子育て、モノの見方は一つじゃないこと、輪廻転生、青
*ネタバレが嫌な人は読まないでください。 賛否両論あるみたいなので見てきました。 ポスターとかビジュアルもカッコ良かったですしね。 僕、結構チラシやポスターを見て映画を見るタイプなんで。 見たのは先週ですが、ちょっと自分の中で結論の出せないところがあって、なかなか感想が書けずにいました。 でもすぐには結論が出ないってことが分かったので、こうして感想を書くことにしました。 この映画を見て気づいたポイントは大きく5つあります。 ①現在の映画の見られ方を意識した作品まず
キングコングの西野さんがnoteで次回作の映画脚本を販売されていたので読みました。 まだしっかりと読み込めてないので、ちんぷんかんぷんなことを言うかもしれないんですが、感想を記しておきたいと思います。 で、一応言っておきますが、脚本を読んでの感想なので、ネタバレはめっちゃしてます。なのでこれから脚本を読む人や映画を観る前に内容を知りたくないと思う人は読まないでください。 あと、ネタバレして問題があるのなら非公開にしますので言ってください。西野さんはみんなの感想を読んでブ
3月に脳出血で倒れて以来、久しぶりに映画館で観た映画です。 久々の映画館なので、何を観るか迷ったんですけど、主演がのんなのと、時間がちょうど合ったのでこの作品にしました。 で、第一印象ですけど、やっぱりのんは良いなぁと思いました。 のんの魅力とキャスティング 何が良いのかというと、まっすぐで嘘がなくて、ピュアな感じがするところです。理由は分からないんですけど、何かのんって裏表がないように見えるんですよね。透明感があるというか、無垢というか、処女性(たまに童貞感)がある
女優ののんが監督をつとめた劇場映画デビュー作 実は『私をくいとめて』が良かったので、彼女には注目してたんですよね。ググったりYouTubeを見たりして。立ち位置的にも面白いじゃないですか。テレビ番組では見ないけど映画やCM、演劇では引っ張りだこ。実力も知名度もあるから仕事はコンスタントにあるけどテレビだけ干されているって、今の時代、本人にとっては最高なんじゃないですかね。時間とかにそこまで拘束されずに済むから自由だし、挑戦もできますからね。 実際、音楽ライブを配信した
ウルトラマンだかのヒーローがやっつけた後の怪獣を、誰がどうやって片づけるのか。そのコンセプトを聞いた瞬間、期待している自分がいました。 言われてみれば、確かに。やっつけた後の怪獣がどうなってんのかなんて考えたことなかったです。元の物語──例えばウルトラマンって、ウルトラマンが特定の人間を救うことが大事なので、怪獣を倒した後の世界のことなんて描く必要がないし、むしろあったら邪魔です。だからあまり意識されることがありませんが、でも本当は、怪獣の被害にあった人もいればその家族
一言で言うと、クリント・イーストウッドの映画ですね。イーストウッドが監督と主演を担当するから作られたのだろうし、彼が主演じゃなければ面白さが半減してしまうかもしれない。そのくらいイーストウッド頼みの映画だと思います。 まず古くさいんですよ。この作品の舞台は1980年のメキシコと40年以上も前ですし、イーストウッドが演じるマイクが元ロデオのスターという設定も古いです。テーマ自体は「自分の生き方は自分で決めよう」という普遍的なもので、今制作する意味がないとは言いませんが、果
米アカデミー賞で脚本賞を受賞ということで、楽しみにしてました。だから期待度MAX。自分の中でハードルを上げて観に行きました。 う〜ん、思ったより並の作品でした。悪い映画ではないですが、もひとつ心に響きませんでした。 欠点らしい欠点はないんですよね。けど「これはスゲェ!」とか「思いつかなかった!」とか「めちゃくちゃ感動した!」と心を動かされるほどではありません。痛快でもないし、すごく切ないわけでもない。 映画館を出た後、何なんだろう、この腑に落ちない感じは……ってずっ
言わずと知れた喜劇王チャールズ・チャップリンの名作です。 製作、監督、原作、脚本、音楽、主演を手がけたというのはすごいですね。しかも1973年のアカデミー賞で劇映画作曲賞を受賞しています。俳優、監督としてのイメージはありますが、音楽でもアカデミー賞って……。どんだけ才能あるねんって話ですよね。 物語はかつて人気のあった喜劇役者のカルヴェロが、リューマチで脚が動かないのを苦に自殺を図ったバレリーナのテリーを救ったことから始まります。実はテリーの脚が動かないのは精神的なも
すごい作品だな〜と思いました。 何がすごいって、アンソニーという年老いた認知症の男が主人公で、彼の視点で描かれているんですよね。だから観客に入ってくる情報が正しいのかどうか疑わしいんですよ。娘がさっきとは別の人に替わったり、相手の発言内容が以前と180度違ったりします。もしかしたら今スクリーンで起きていることはアンソニーの思い違いかもしれないというのは、とても混乱しますね。認知症を題材にした脚本を書きたいと思ったことはありますが、本人の視点で書くという発想はありませんでし
たぶんこの映画を観たのは18年ぶりぐらいだと思います。先月シネ・リーブル梅田でリバイバル上映していたので観に行きました。 くだらない映画だなぁと思いました。 ──でも、最高でした!! ビリーが刑務所から出てきてスコットを殺しに行くまでのせいぜい18時間くらいを描いているだけです。しかも動機は逆恨み。ビリーは、アメフトで地元チームのバッファローが勝って優勝する方に大金を賭けたのですが、負けてしまったためマフィア(?)のボスの怒りを買い、刑務所に入ることになってしまいました
バックストーリーが足りないな、でも何か観ることのできる映画だなと感じました。 こう書くと低評価のようですが、決してそうではありません。結構高く評価しているんです。 1)バックストーリーは何故必要なのか バックストーリーというのは物語が始まるまでのストーリーのことです。脚本家は登場人物を考えるときに、その人物の性格や経歴、プロフィール、信条や価値観、友人関係、何に影響を受けて育ってきたか、どんな思想を持っているか、さらには両親や祖父母がどんな人生を歩んできたか(本人が生ま
この映画、なぜ一章、二章、三章……と章立てにして作ったのでしょうか。その構成いらなかったなー。 たぶんストーリーの都合なんですよ。序盤に華子と美紀の接点があまりにもなさすぎるから、華子の章と美紀の章に分けたんだと思います。読んでいないので知りませんが、たぶん原作がそういう構成なんじゃないでしょうか。 だから序盤、水原希子が全然出てこないのが気になって仕方なかったです。チラシ見て出演しているのは分かっていたので。良い役っぽいのに何で?って思っていました。第一章が終わり、よう