目立つことはいけないこと?
お母さんが毎日取り換えてくれたおリボンが、同級生にはイジメの対象になっていたというお話を聴いたことがあります。
だれかのサポートが必要な子どもたちの世話をまかされて、みんなにジロジロ見られるのが嫌だった、ということもしばしば耳にするケース。
心がスースーしてしまうのですが、子どもたちの中で「目立つ存在」でいることが、仲間外れにされる原因になるというのは寂しいことですね。
しかも昨日まで仲良しだった子から、急に「あっち行って。」と言われて、何がどう間違ったのかもさっぱりわからない。
子どもたちの心理の構造は複雑です。
ある少年は、小学校1年生から中学校を卒業するまでの9年間のあいだ、ほぼ2年以内に次から次に転校していて、その都度全校生徒の前に立たされ自己紹介をしなければならなかった、それがほんとうに嫌だったと教えてくれました。彼は日本人の父親とスイス人の母親の間にできた子なので、幼い頃は髪はきれいなブロンド、目はブルーグレイ、ますます目立ちますよね?
毎回いじめっ子みたいなのがやってきて、「おまえアイノコかよ。」とかわけのわからないことを言っていちゃもんをつけるので、怖いし嫌だけど必死に戦った。殴られるから殴り返したりもしたんだと。あの心優しい子が、そんな目に合うなんて、と大人目線では理解できなかったのですが、どうやら「目立つ」ということがいじめっ子の心理をくすぐるようです。
人格の固着のエナタイプを紐解いて行くうちに、私たちの心理の深みにあるビースト(獣性)というテーマに触れました。簡単に言ってしまうと、幼児期のホールディング環境の破壊が、私たちの心理の奥底に根深い不信感を作り出し、その反応として、獣性が発動することがあるようです。
今こそ基本的信頼を取り戻す方向性を持ったワーク(働きかけ)が必要になってきているなあと。