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英彦山大権現もみじ庵の紅葉


 福岡県では、山間部で紅葉が始まった。
九州に転居してから3度目の秋。まだまだ知らない紅葉の名所と呼ばれる場所がたくさんある。英彦山ひこさん(福岡県田川郡添田町)の麓にある「英彦山大権現もみじ庵」は昨年夏に一度前を通りかかったことがあるが、紅葉の季節としては今回が初めてのこと。
北九州から車で田舎道をひた走ること1時間半。英彦山の手前、渓谷が深くなってきた辺りにある駐車場に車を停め、徒歩で谷間の河原へと下ってゆく。ものの数分で入り口に到着。ところが、まだ6~7分の色づきでしかない。しかも今年の秋は少雨と高温の為に、紅葉しないまま縮んで枯れてしまった葉が多いように見受けられた。
他の訪問客も、期待していたほどの紅葉が見れないことに、皆一様に落胆して、ひと回りしてすぐに帰っていく様子だった。

それでも少し離れた河原の近くに、美しく色づいている樹々がかたまっているのが見えた。紅葉は気温が低く湿度が高い場所から先に始まる。ファインダーを覗いてみれば、そこには肉眼で見るものとは見え方が違う不思議な世界が広がっている。


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広角レンズで撮る風景は、目で見る世界に近い。それは主に目に見える世界の「印象的な部分」に焦点を当てたものとなる。それに対して中望遠レンズでは、更にその中にある「エッセンス」に焦点を当てることができる。

人間の目には「可視光線」という狭い範囲の電磁波しか捉えることができない。それ以上もそれ以下も、紫外線も赤外線も見ることはできない。しかしながら昨今のカメラとレンズ、そして現像ソフトの進化によって、与えられた可視光線を捉える能力を拡張するように、事物をより繊細に注意深く見つめることができるようになった。
光の粒子を拡大し、選別し、再現する能力を飛躍的に高めたことによって、風景と人間の意識との間に横たわっていた心理的な距離感を縮め、決定的な分離感を弱めることができるようになった。

この技術的進化により、目の前に広がる世界は、その中にある「エッセンス」をそっと人に教えてくれるように振る舞う。この自然界がただ単に美しいというだけでなく、世界の核心が揺るぎない「真善美」で出来上がっているという事実が、ファインダーの中から突然浮かび上がってくる。

やがてそれは内なる共振共鳴へと導かれていく。

思考と感情、身体感覚を駆使して自己認識を模索しようとするよりも、自然界を鏡として見つめる方が、「自分自身」との距離を置くことができ、果てしない暗闇の中を堂々巡りするような思考の渦に巻き込まれる可能性は低くなる。自分の顔形の様子を、手や指の感覚だけを頼りに探り続けるよりも、目の前に鏡を置くだけで、あっという間に認識できることと同じだ。

ところがこの先には予期せぬ不思議な感覚が待っている。自然界の真善美を探求することによって、思いもよらず「自分自身」という感覚はいつの間にか幻のように消えてしまい、「真善美」の余韻だけが静かに内側に響き続けるのを見出す。

自然界と人間との共鳴、そして調和とは、観念的なレベルではなく、実存的なリアリティを伴う打ち震えるような感覚として、初めてその時にやってくるように感じる。
カメラのファインダーの中を見つめていると、自然界と人間との境界を越えて、万華鏡を覗き込むような摩訶不思議な神秘体験となるような気がしてくるのだ。


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英彦山大権現もみじ庵





















































































































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Adagio Con Amore (Piano and Violin)
Classical New Age Piano and Violin Duets



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燿
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