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「今ここ」に生きる
日中はまだまだ夏の暑さが続く北九州。しかし市内にある植物公園に行くと、赤、白、黄、ピンクなど様々な彼岸花と、秋の訪れを告げる草花たちがすでに咲き始めていた。
細い花茎を伸ばし、その先に独特な造形美の花を咲かせる彼岸花。ひとつの花は数時間から長くても3日しかもたない。やがて花や花茎が枯れた後、秋の終わりから葉が伸び始め、翌年の初夏に枯れるという、他にはあまり見られない個性的な多年草である。
毎年、お彼岸のこの時期に合わせて正確に咲くのは、微妙な温度変化を繊細に嗅ぎ分けているから。
ただ己の直感と創造性に従って生きている。地中の暗闇に生き続ける小さな鱗茎(球根)の中に、美と智慧と決断力と、その源泉となる生命力のすべてが秘められている。
彼岸花は「今ここ」に生きるということを忠実に実践している植物の代表格だと思う。
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今日の過酷な現代社会では、「自分らしく生きること」を見つめながら生きている人がとても多い。特にこのnoteでは、そのような人をたくさん見かけることができる。
過去を振り返り、未来を見つめる中で、最近は過去でも未来でもない「今ここ」に意識を合わせることの大切さが注目を集めるようになってきた。それが心身の健康を回復し、自分らしく生きるための重要な秘訣とも言われている。
過去を分析し、未来を推測することが左脳の得意分野であるならば、「今ここ」を見つめることは右脳の専門分野。
その中でも、呼吸に気づくことは「今ここ」に生きるために、最もシンプルかつ重要なメソッドとなる。呼吸を意識すると、思考よりも身体によりコミットメントしやすくなるからだ。
「今ここ」を生きる身体を深く覗き込むと、そこに「自分らしく生きること」を知る手がかりが見つかる。
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🪷🏵️🌸
「今ここ」について思いを馳せるとき、いつも蘇るのは、30数年前にインドの探求施設で経験した10日間のグループセラピーの記憶だ。
そのグループは通称「フー・イズ・イン(Who is in?)=中にいるのは誰?」と呼ばれていた。
1対1で向かい合うパートナーを相手に「私は誰か」について語り続けるという、云わば禅の公案のようなセラピーだった。
この時の参加者は、約60名ほどの欧州人と数名の南米人、アジア人は自分一人。年齢層は20代から60代位。女性が約7~8割を占めていた。世界中から集まってきた探究者や一般の人たちである。
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このセラピーの最大の特徴は、聞き手となるパートナーが「受け答えせず、無反応、無表情に徹する」という奇妙なルールがあることだった。
話す側にとって、それはまるで仏像を目の前にして話し続けるような心境になっていくのである。
一見穏やかなセラピーに思えるが、しかしエンカウンターのような対話と感情解放を伴う激しいセラピーとはまた違った、途方もなく強烈なセラピーとなった。一種のショック療法のようなものに近かった。
セラピーは一般的に過去のトラウマを解放するものが多い。出産時、乳幼児期、子供時代から大人に至るまでトラウマを抱える機会は一生続く。しかしこのグループセラピーは言葉を使って「今ここ」に深く入っていくという、それまで聞いたことも体験したこともない特殊なものだった。
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このグループセラピーは次のように進められる。参加者の中から任意で2人一組のペアを選ぶ。膝が擦れ合う位に近づき、床のクッションの上に向かい合って座る。
この姿勢のまま、一人が話し手となり、パートナーが聞き役となる。話す時間は一人15分間。一人が終わると交代し15分間話す。
先ほど述べたように、聞き役には次のようなルールが科せられる。
①話す相手の眼をじっと見つめる
②無表情、無言のまま、ただ耳を傾ける
③一切受け答えしない
④首を振ったり頷いたりもしない
⑤「仏像」のようにただじっと座る
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話す者はじっくり考えることなく、瞬間的に思い浮かんだ「今ここに生きている私」について話す。
交互に二人が話し終わると、すぐさま別のパートナーを見つけて再び15分ずつ話し、それを6回繰り返して一日のグループワークが終わる。10日間これを繰り返す。
トータルではのべ60人のパートナーと組み、ひとり15時間「自分について語り続ける」ことになる。
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しかもその上に、参加者は「サイレンス・バッチ」というものを胸に付け、グループ以外は10日間他者との一切の会話と関係性を絶つというルールが科せられる。
このバッチを付けた人とは話すことができないだけでなく、挨拶やハグ、アイコンタクトすらできない。どうしても必要な場合に限り筆談が許された。
また朝6時から夜9時まで、様々な瞑想もプログラムに含まれていた。これもまた静かに坐るだけでなく、意図的な過呼吸とか、感情解放とか、或いはジャンプし続けるといった激しいプロセスを伴うワークだった。その合間に施設内で食事休憩をとることが唯一ほっと一息つける時間となった。
自分のアパートの部屋には洗濯と寝るためだけに帰った。テレビ、ラジオはなく、当時はインターネットすらない時代。外界から隔絶された、ほぼ完璧に逃げ場のない環境の中で、徹底的に自分自身と向き合う10日間となった。
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鐘の合図と共に、まず聞き手側の人がこう切り出す。
❝ Tell me who is in ?(あなたの中にいるのは誰か教えて ? )❞
初対面の人や、企業面接での自己紹介では、誕生から現在に至るまでの「過去の自分」の記憶の中からピックアップする。その延長線上で将来の夢や希望などを話すこともあるだろう。
このセラピーでも同じように、誰もが自己紹介のような話から始まった。当たり障りのない思い出話、自国での職業のこと、家族のこと、近しい人間関係などについて、思いつくままに話が溢れ出す。
時間の経過とともに、やがて事実関係のみならず、付随する想いや感情なども出てくるようになる。セラピーが行われている部屋はワイワイガヤガヤたいへん賑やかに盛り上がった。
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パートナーが交代する度に、話す内容ががらりと変わる。相手の第一印象、性別、年代、国籍、雰囲気などに影響されて、違う話題が自分の中から湧き出てくる。
明るく生き生きしているような人と対面すると、楽しい話題を話す自分がいる。見るからに深刻そうな人を前にした時には、過去の暗い思い出や不平不満などの経験がすぐさま口をついて出てくる。
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ところが、こちらの話がどのような内容であっても、向かい合っているパートナーは無反応、無表情、無言。仏像のように、ただじっと目の前に座り、自分の目を見つめているだけだ。
通常の人間関係ではまったくあり得ない「反応の無さ」に、だんだんと困惑の度合いを深めていく。
昔、人々の悩みや相談に対して、何を訊かれても答えずに、ただ大笑いをするだけという禅師がいた。そちらの方がまだ救われるような気がした。
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パートナーが代わっても、一度口に出したことは、もう繰り返して話す気にはなれなかった。何を話しても反応がまったく返ってこないというのは異様な事態だった。
これまでの人生で、いかに他人の反応に依存し、承認要求を満たし、自己同一化していたかがはっきり見て取れる。
《こんなにも面白い話をしているんだから、もっと喜んで楽しそうな顔を見せてくれない?》
《これほどまでに辛い思い出を打ち明けているんだから、もう少し同情して辛く悲しい表情で憐れんでくれてもいいんじゃないの?》
《こんなにも凄いことをしてきたんだから、もっと褒め称え、尊重して、敬意を払ってくれないかな?》
まったく経験したことがない相手の態度に、戸惑い、苛立ち、傷つき、怒り、悲しみ、消耗し、混乱する自分がいた。
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自分で自分だと思っていたことを口に出して表現すればするほど、それはあまりに表面的なものでしかないように見えた。
過去の記憶に残る自分の総和を「自分」だと思い込んでいた。切り取られた記憶の断片を寄せ集めて自己同一化し、それを自分だと決めつけるのは、あまりに偏狭な見方に思えた。それ以外の時間の方が圧倒的に多いのにもかかわらず、印象に残らない要素はすべて切り捨ててしまっていたのだ。
そこから紡ぎ出された将来の夢や希望もまた、とても限定的な可能性しか見えていない気がした。
今この瞬間生きている生身の自分の本性について、的確に表現する言葉なんて何もないことがだんだんと明らかになっていった。
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一週間が過ぎた頃にはグループルーム内に、初日の賑やかさはもうどこにもなかった。人間関係の楽しさや喜びはどこにも見出せず、ひたすらボディブローを喰らい続けるような日々となった。
誰もが同じような困難な状況に追い詰められているように見えた。中には耐えきれずに、すぐ目の前で泣き崩れる人もいたほどだ。
聞こえてくるのは、ほとんどヒソヒソ声か、ため息が漏れる声だった。誰もが何を話していいのか分からなくなり、うなだれ、疲れ果て、途方に暮れていた。
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誰とペアを組んでも、全員が困難なワークを共にする仲間となっていた。ペアになった瞬間、互いの目を見て、互いの心境をすぐさま理解し合える間柄になった。
グループ以外の人との会話やアイコンタクトが出来ない日々が続く中で、ペアとなった相手の人と見つめ合うという、たったそれだけのことがあまりにも純粋で、貴重で、美しい瞬間に思えた。
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最終日の最後のパートナーは、初めてペアを組む、少し年上の思慮深そうなドイツ人女性だった。
目の前に座った瞬間、互いに見つめ合い、そして互いに深いため息をつき、微笑んだ。
彼女もまた同じようにもうほとんど話すことはなかった。その姿をただじっと見つめ続けた。
最後に自分の番となり、10日間15時間の最後の15分となった。
過去でも未来でもなく、今ここに生きている俺とは、いったい何者なのか?
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10日間何を話したのか、まったく覚えていなかった。
誰が何を言ったかもすべて忘れた。
何もかも、全てがもうどうでもいいことに思えた。
自分の過去の記憶にはもう何の意味も価値もなく、夢を思い浮かべる気にもなれなかった。それは同時にあまりにも滑稽で、果てしなく悲しい現実に見えた。
途方に暮れただけの10日間がもうすぐ終わることにとてつもない虚無感を感じた。もう完膚なきまでに打ちのめされた気分だった。
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もはや笑うか、泣くか、残されていたのはそれだけしかないように思われた。
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15分の持ち時間が終わろうとしている数分前のことだった。
自分の内側にぽっかり口を開いた真っ暗闇の大きな空洞をじっと見つめていると、突然閃いた。
「あっ!」
と思わず小声で叫んでしまった。
「え? 何?」
目の前に座っているパートナーの目が一瞬ぱっと輝き、思わずルール違反である返答の言葉を口にした。
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笑うこと。
泣くこと。
そして、その奥にある空洞の静けさ。
それが今ここに生きている俺の唯一のリアリティだ。
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笑いと涙は、自分の奥深くにある空っぽのスペースからすぐにでも溢れ出しそうだった。それは紛れもない自分自身のエネルギーだ。
しかし笑いと涙の奥には、静けさが横たわっていた。
その静かなスペースが決して消し去ることができない俺の唯一の真実に見えた。
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その静けさはこれまでもずっと一緒だった。
生まれてこの方、姿形を変えたこともなく、影のようにいつもまとわりついて離れないものだった。
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きっと死んでいく時も、この静けさは魂の乗り物となって、一緒に旅立っていくに違いない。
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これまで無意識の内に感じていた自分の奥底に潜む虚無感、空虚感は、この静けさを誤解して捉えていただけだ。
不安、心配、怖れを抱くようなネガティヴなものではなかった。
今まで、その虚無感空虚感から逃れようとして、或いは、かりそめのもので埋め合わせようとして、あれこれ外にあるものに夢中になり、興奮し、熱狂し、安堵し、酔い痴れ、過去と未来を彷徨っていたように見える。
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その静けさは、広大なスペースのように見える。
安らぎに満ち、心から寛ぐ自分の本当の居場所のように感じる。
それは自分の中にあるというより、その中に自分がいるという方が似つかわしい。
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左脳中心に生きていた自分にとって、四六時中繰り返される頭の中のおしゃべりはいつも「今ここ」を素通りして、過去と未来を行ったり来たり彷徨い続けていた。
時間に急き立てられ、仕事に追われ、周囲の人間関係に振り回され、降りかかる情報の渦に埋もれ、刻々と変化する社会情勢に翻弄され、静けさに意識を向ける余裕なんてこれっぽっちもなかった。
しかし振り返れば、大自然の美しい風景を目の前にして心安らぐ時、花の中にある神秘の造形に心奪われる時、愛する人と共に喜びを分かち合うひととき、深い静けさは「今ここ」に生きる自分に寄り添い、いつでも共にあった。
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過去の人生経験はすべて豊かな学びとなる。未来の夢は希望の光を与えてくれる。しかし人間が生きているのは、過去でも未来でもなく「今ここ」だ。
「今ここ」に意識の焦点を合わせることによって、初めてリアルな自分の姿と出会える。
「空っぽの器」。
器が空っぽであればあるほど、外から豊かなエネルギーが流れ込んでくる。
そのエネルギーは自分の器の中で、創造性、慈愛、祈り、直感、閃き、決心、心と身体を再生させる自然治癒力へと生まれ変わる。
それらは言葉だけのものではなく、エネルギーそのもの。
大地の深淵から養分を吸収して花が咲くように、自分の静寂から湧き出てくる花のようなものなのだ。
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10日間のグループ終了を告げる最後の鐘の音が響き渡った。安堵感が部屋じゅうに広がった。
ずっと目をみつめ、耳を傾けてくれたパートナーが、何度も何度も頷きながら、親指を一本上に突き立て、にっこり優しく微笑んだ。
質問:「自己を忘れることと、自己を留意することは、二つの異なった道ですか。それともいずれにしろ、同じ道なのですか。」
その二つの道は同じだ。
ただ表現のしかたが異なっている。
人はあることを肯定的に言うこともできるし、
同じことを否定的に言うこともできる。
しかしその二つはどちらも同じことを言っている。
自己を留意することで、自己は消える。
あなたが留意すればするほど、自己は存在しないことがわかる。
自己を忘れることも同じだ。
あなたは自己を超えている。
「私」、「自我」、「人格」に執着してはいけない。
ちょっと、その鳥かごに執着することを落とし、
鳥かごから出てきてごらん。
そうすれば大空はすべてあなたのものだ。
翼を広げ、鷲のように、太陽を横切って飛んでいきなさい。
その他のことは、至福、法悦といえども、すべて二の次だ。
数えきれないほど多くの花が存在するが、
それらはすべて自由という土壌のなかで可能となる。
Piano improvisation "まっさら" Clear🕊️✨
Akiko Akiyama Piano Relaxing
お疲れ様です
いつもありがとうございます
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