この木何の木❔寂心さんの樟🌲 【新•日本名木100選】
こんにちは。今回は先週末訪れた、熊本市北区の樹齢800年の大クス『寂心さんの樟』をご紹介します❣️この木は、県指定の天然記念物であり、新•日本名木100選にも選ばれているんですよ✨前日にNHKの日本各地の巨木を紹介する番組で、この寂心さんの樟も紹介されていたからか、この日は見物客が結構いらっしゃいました。
寂心さんの樟の詳しい説明は現地の案内板より↓
〜ここ「寂心さんの樟」は、幹囲13.3メートル、高さ29mで、枝張りは50メートル以上もあり、樹根は蛸の足のように地上をはっており、樹齢は約800年といわれている。
この大樹の根元に墓石が一基あり、鹿子木親員入道寂心の墓と伝えられているために、「寂心さんの樟」といわれ、神木ともなっている。
寂心は北部町の楠原城に居を構えていたが、のちに隈本城(現•県立第一高校)に本拠を移し、天文18年(1549)に没するまで、隈本城を中心に勢力を伸ばした。〜
そして、その寂心さんの樟がこちらです↓
隣に写っている人と比べると、大きさがわかりますね😲
巨木を目の前にした感覚とか、大樹の持つオーラというのは、上手く言葉に出来ませんが、やはり感動や神聖な感覚を覚えます。この木には包み込むような優しさと偉大さを感じ、能面の『翁』の面のイメージが浮かびました。根っこを踏まないように木に近づいて、お決まりの様に木肌を軽くパンパンしてみたり、匂いを嗅いでみたり笑(←ほぼ無臭)
立派な根っこはよく蛸の足🐙に例えられていますが、私が感じた感覚は、たくさん働いて節だったおじいちゃんの大きくて優しい手。
やっぱり写真では蛸の足にしか見えないですね💦現地で感じたあの優しさや包容感は残念ながら写真では表現できないです😭
枝は柵を越えてぐんぐん伸びていて
強固な金属製の支柱で支えられています↓
(こんな大きな支柱みたことない😳)
この支柱たち、なんだか老木を守るガードマンみたいに見えてきます💪宮沢賢治の『月夜の電信柱』の様に、月夜の晩に動き出しそう🌛
写真では暗くて分かりにくいのですが、この支柱、枝が当たる部分だけは木製で、プラス当て布がしてあるんですよ↓ 優し〜い☺️
案内板に、「この大樹の根元に墓石が一基あり、鹿子木親員入道寂心の墓と伝えられている」とありますが、これかな〜?
ただ、「大楠の根本に墓石が巻き込まれており」と、後述のモニュメントに記載があるので、オリジナルの墓石は、木の成長過程で根が包み込んでしまって見えないのかも知れません。
その、敷地内にある寂心さんについて説明した石製のモニュメントです↓
寂心さん
鹿子木氏は鎌倉幕府の斉院次官仲原親能の後裔で鹿子木荘の地頭として頼朝の命を受けた三池貞教が姓を鹿子木と改め、室町時代の明后5年十代目鹿子木寂心が隈本城に移るまで統治した。寂心は三河守親員と称し入道して厳松軒寂心と号し楠原城を本拠地として飽田詫摩玉名山本の560町を領した。
豊後の大友氏と親交を結び肥後国の中心人物で紛争仲介など国内安定に尽力し寺社の復興や造営を行い謡曲『桧垣』『藤崎』等を作り和歌も四百残されており文武に秀でた中世の豪族である。
この樹令八百年の大楠の根本に墓石が巻き込まれており里人はこの木を「寂心さん」と呼び毎年一月十一日は命日として神事を行い北迫区の政事の始まりとして敬んでいる。
これは想像ですが、鹿子木寂心は領民に対しても理解があって、慕われていたのではないかなと感じました。だからこそ800年経った今も地元の人から『寂心さん』と親しみを込めて呼ばれているのではないでしょうか。私は寂心さんの魂がこの大樟に宿って、今も地元の方々を見守っている様に感じました✨✨✨
樟の周辺は「寂心緑地」という公園になっていて
公園からは寂心さんの樟の全体像を撮ることができます📸
冬でも緑が綺麗で、能舞台の背後の松の絵にも、孔雀が羽を広げた姿にも見える、均衡の取れた美しい大樹です🌲(下の写真のアングルが特にそう見えます)
寂心翁、またパワーを貰いに伺いますね〜👋👋
最後までお読み頂き、ありがとうございました😊
熊本市観光ガイドHP
(アクセス情報もこちらから)
https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/60