忘備録
「人生脚本」
やっとこの言葉まで辿り着いた、、、長かったよー😭もうすっかりいい大人だよ、、、でも頭と身体で理解出来て本当に良かった。
絶望ちゃんは一風変わった人生のようで、割と一般的な側面もあるこの謎の人生に狼狽えて生きてきました。狼狽えていたので“生きる意欲”がないという表現が正しいかな?「自殺」と言う意欲はなかったです。
端的に言うと「しんどい、、、しんど過ぎる🥶」
いちいち意味を考えちゃうタイプの自分を取り扱えなくて、なんでこんな「不幸感」が付き纏うのかもわからず、長年ただそこから逃げていました。その意識すらなく。
そんなある日「人生詰んだ、、、orz」という出来事があって、薄々気付いてた自分の人生のいびつさに向き合わざるおえなくなって、精神分析→心理学→精神論→スピリチュアル→宇宙理論という過程を辿りました。
が、
抜けない「不幸感」、、、抜けない「ダメ人間感」、、、どうしようもない「悲観的な自分」、、、
根底にはずっと「一般社会のゴミ屑」感が拭えなかった。
ワンネスも体感したし、真理も理解できた、、、なのに、どうしこうも日常に起こる出来事に対して悲観的かつ不安なのか?ずっと不思議でした。
それの端っこを少し掴めたかもしれない。
幼い頃の記憶として残っていない感覚記憶が、絶望ちゃんの足を引っ張っていました。記憶力の外側?
それを自分のために何とかしてあげたくて探していたら、最近読んだ本の「当時叶ってたとしたら?をイメージングして感じる」が導いてくれました。
「人生脚本」
たぶん宇宙理論やらで瞑想を取り入れる前なら出来なかったんだけど、“自分の人生が思った通りだったら?”をイメージング出来る自分になれていたので、この概念と方法が腑に落ちた。
幼少期、思春期、恋愛、親子関係、そして今ここ、全て思い通りに理想を生きれている自分だったとしたら、現在の状況をどう感じるんだろう???
そこにあったのは、ただの豊かさと圧倒的な肯定感でした。
「こんなんだったら良かったのにな、、、」というのが私の場合はあったので、それをイメージして感じただけなんですが。
思い描いた理想の最高の人生の中で、同じ状況や環境だったとしたら?
めっちゃ幸せ、、、、、、でも“この私”を選んでたな〜っていうのが感覚で掴めた気がしました。
掴めたら自分の現時点の自己認識の外側に少しだけ意識がズレて「んんん?今の現実ってネガティブな思い込み、、、なのかな???」と言う小さいけど自分としては大きく穏やかな気付きが起こったと言うお話です。
「生きづらさ」の外側に出たかった。そのお陰で、やっとわかった感覚。
世界がひっくり返るかな?
だったらいいな。
螺旋階段のように心の中を進んできて、また基本の「自己肯定感」に着手する。
エゴまみれの他人軸で、ただただ絶望していたあの頃とは一段階進んだ自己肯定感が積み上げられそうです。