わかりやすい省察的実践(探究演習)
大学院で学ぶ「学習のデザイン」。今回は省察についてです。
省察とは?
あんまり聞いたことない言葉ですが、省察とは簡単にいうと振り返ることです。漢字から読み解くと内省や自己観察という言葉があてはまります。だけど、そんな簡単なことではないようです。
省察的実践とはドナルド・ショーンという人が打ち立てた理論ですが、本人が書かれた本は超難解らしく、(なぜか)先生からは「あなたは授業を受けなくても大丈夫ですよ」と言われました。
代わりにこちらの本を勧められました。これを読めば基礎はわかるので、まずはそこまででよい、ということだったのかも?
振り返りとは何が違うのか?
省察的実践は医療現場でよく用いられている方法論です。例えば看護師であれば、現場での実践を繰り返しながら、自身の行為や対応を振り返り、次に活かす、という過程を経る社会人の学び方です。
ここでは2つの軸がそれぞれ存在します。
実践・現場 ↔︎ 理論・学術
適切 ↔︎ 厳密
この軸を行き来するなかで、経験→仮説→検証→省察を繰り返して、自己学習を繰り返すことが省察です。ただばくぜんと振り返るのではなく、プロセスを経た積み上げが大事になります。
これを研究的に行う場合は、課題やテーマを設定することからはじまり、問いを設定して分析して、そこで得た知見を実践に活かして、らせん的に改善を繰り返していく流れになります。
ペタゴジーとアンドラゴジー
省察的実践は大人の学びに位置付けられます。ここで子どもと大人の学びの違いを知る必要があります。
ペタゴジーは子どもに物事を教える考え方ですが、教育は知識・技術を教え込むことという思想になります。
それに対して、アンドラゴジーは大人の学びであり、大人は子どもと違って自分で学んで自己決定や経験を尊重することという考えに立って、ペタゴジーとの区別されています。
大人の実践的な学びで身につけたことはある意味で「わざ」です。
そして、わざには科学とアートの2つから構成されます。科学は理論や学術に基づくものですが、アートは実践の中で生かされる知識や技能です。なので、単に知識を身につけるだけでは大人の学びは不十分です。でも実践をだけでもなく両者を組み合わせることが欠かせません。
熟達者になるには
省察的実践を繰り返して到達する場所は「熟達者」です。医療現場であればどのような状況でも落ち着いて対処ができて、新人に的確な指示ができるような人がそれにあたります。
熟達者のスキルは、知識だけを学んで身につくものではありませんが、ただ経験を重ねれば自然とできるものでもありません。
時に失敗から学んだり、成功しても慢心せずに要因を分析したり、よりよくするための課題設定を立てて取り組むなど、アンドラゴジーの学びによる省察ができるかがカギとなります。そして、これは誰かに教えてもらうものではありません。
省察を学ぶための方法は「物語ること」と「書くこと」があります。感情的に思い返して終わるのではなく、相手との対話だったり、自身の考えを言葉に外化して自己認識を深めることが、省察につながります。
最近はジャーナリングという手法も注目されています。日記のようなものですが、大人になるとやらなくなるこういった習慣が省察につながります。
教師ができること
省察プロセスの中で教師の介入は少なめです。その中でできることとは以下の4つがあげられます。
知識・技術を教える役割
自己決定や経験を引き出す役割
意識変容の学習としての問い直す役割
学習者同士をつなげる役割
初心者であれば1の教えることは必要です。でも、本人ができるようになってきたなら一歩引いて、気づきを与える・問い直してみる・考えや物事をつなげる、といった役割に変わっていくことが大事です。これは職場の上司でも同じ関係だと思います。
学んだこと
省察は反省とは違いますし、ただの観察とも違います。なので省察的実践をちゃんとやろうとするとかなり難しいです。
特に自分が大事だと思ったのが、学習状況に応じて学習者と熟達者(あるいは教員)の距離感を少しづつ調整していくことです。この関係は、子育てをする過程ともよく似ています。
乳児はしっかり肌を離すな
幼児は肌を離して手を離すな
少年は手を離して目を離すな
青年は目を離して心を離すな
学習者を機械のように知識を埋め込むのではなく、成長する一人として考えて、過程に着目することが省察的実践の大事なポイントではないかと考えました。
今日はここまでです。
デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。