デザイン思考を反対側から見て気づいたこと:突破するデザイン
昨年末にTakramのPodcastのテーマで、ベルガンティ教授の考えとこの『突破するデザイン』の本が取り上げられて、この内容を聞いた僕は強い衝撃を受けて、これは絶対に本を読まねばと思いました。わりと日ごろから書店には足を運んでいるのですが、この本のことはまったく把握していませんでした(2017年の本ですが書店にもあまりなかったので広まっていないようです)。で、読んでみて一気に引き込まれました。この数年もやもやと思っていてうまく言語化できないことが、なんとこの本の中に見つけることができました。
概要についてはPodcastで収録されたTakram Castの内容や、渡邉さんがnoteに書いてくれたTED Talkの日本語訳で、丁寧に分かりやすく紹介されていますので、こちらをご覧ください。
ここでは僕が感じている、デザイン思考に対してネガティブな印象を持っているデザイナーの違和感とは何なのか、それをどうやったら体系的に捉えることができるのか、といった観点からまとめを書いてみたいと思います。ちなみに、この本で使われている言葉の定義がとても大事になると思うのですが、日本語でさらっと読むだけでは難しかった印象があったので、それについてはもう一つの記事で紹介したいと思います。
突破するデザイン
ロバルト・ベルガンティ(著)八重樫文(訳)安西洋之(監訳・解説)
日経BP社 2017.07
本の概要について
この本のメッセージを乱暴に短くまとめると、「デザイン思考は問題解決型のイノベーションアプローチだが、新しいイノベーションを起こすにはそれと逆のアプローチが必要であり。それを本書では”意味のイノベーション”といい、次の2つが大事な要素」ということです。
外→内に発想が”デザイン思考”、内→外に発想が”意味のイノベーション”
アイデアの創出が”デザイン思考”、考えの批判が”意味のイノベーション”
本書では、Part2 意味のイノベーションの原則 のなかの第4章と第5章に書かれていますが、その概要を自分の解釈を含めて文章にまとめてみたいと思います。
内から外へ
デザイン思考を提唱するIDEOのリーダーは先入観を持たない外→内の考え方を主張して、appleの創業者達はユーザーに聞くのではなく自分の経験から考える内→外の思考を主張しています。前者はデザイン思考のベースとなるもの、後者は本書にある"意味のイノベーション"の考え方を表していますが、これはどちらが正解といったことではなく、両方それぞれ必要な考え方であるとベルガンティ教授はいいます。
ポイントはどの時にその考え方を使うかということです。対比で整理すると、デザイン思考は問題解決のときに効果を発揮して、意味のイノベーションは商品やサービスの新しい考え方をつくりだすときに有効、ということになります。社会課題などで地域と一体になったような取組ではデザイン思考が機能しているけれど、会社の新規事業企画では問題解決とは違ったビジネスを求められているため、そこでは ”意味のイノベーション” の考え方が大切になります。
内→外の考え方をするうえでは自身の想いやビジョンが自ずと出てきます。そしてその考え方がユニークであると、これまでのイメージとは異なる認識が生まれ、その商品やサービスが持つ意味合いが変わってきて、イノベーションをつくりだすことにつながります。
例えば本書の事例ではロウソクが紹介されていますが、これまで明るさが求められていたのに対して、香りや雰囲気を演出することで今までにない需要がつくられ、結果としてロウソクは電球とは違った位置づけで今でも高い売上を出しているということです。この『意味を変える』という考え方こそが、”意味のイノベーション”といわれる理由なんだと思います。
批判精神
デザイン思考では、他人の考えを否定せずにアイデアの組合せで多くの数を発想していこう、とされています。この批判精神はそれとは反対の考えとなります。ちなみに批判と否定は違っていて、ここでの批判は批評や議論といった意味に近いと考えます。これについてはもう1つのこちらの記事で言葉の定義について解説しています。
デザインやアイデア発想に限らず、議論を重ねて考えを深めていくことの大切さは誰もが感じるところがあると思います。例えば、居酒屋でいっさい反論がないイイねだけの会話では考えを深めることはできないですし、ジャーナリストが鋭い質問をすることで本質を突くといったことは、この批判精神の考え方にあたるといえます。そのときに大切なのは、いかにいい質問ができるかといったことであり、これはデザイン思考の考え方にも共通しています。
傾向として日本人はこの批判のやりとりが苦手です。欧米文化のようなディベートをする教育はあまり根付いていないし、会議の中で議論を重ねることもあまり積極的ではありません。アメリカやヨーロッパでカーデザイナーを率いてきた奥山清之さんの本によると、会議での議論はあくまで仕事の内容に対して行うべきなのに、日本人は議論をするときに人格を否定していまう傾向が強い、と述べています。これは実感できますし、僕自身も難しいと感じています。
本書ではそんな状況の手助けとなる批評のステップを示してくれています。こういった整理がされていると、今はどういったモードで議論すればよいか自覚がしやすくなるので、建設的な批判ができるのではないかと思います。
Step1. まず一人で考えを深める
Step2. ペアで話をする、スパーリング相手のように付き合ってもらう
Step3. 4人くらいの本音で語れる相手と時には対立したり厳しく話し合う
Step4. 専門家など自分にはない視点の見解を取り入れる
Step5. 人々(ユーザーだけでなくその周辺も含む)からの反応を得る
批判のプロセスも内から外になってます。考えてみると、何か大事なことって、始めは自分の中で熟考して深めて、そのあとに親友や家族などに相談してから、だんだんと広げて外に発信していくいくはずです。なので自分の考えがしっかりしていないと批判には立ち向かえないので、考えがやわらかい状態でも想いを受け止めてくれるスパーリング相手や、本音で語り合える相手の存在はとてもありがたい、ということに気づかされます。内→外といっても決して1人で完結させるわけではないので、これもデザイン思考で大事にしている共創の考えと、本質的には共通することに気づかされます。
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これら2つの考え方を通じて「いわれてみれば、自分はそうやって考えてきた」と思うデザイナーは多いのではないかと思います。僕が学生の時にデザインの教育を受けた2000年頃は、まだデザイン思考という概念は浸透していませんでした。では、その時はどうやってアイデアを発想していたかというと、例えば工業デザインを専攻していた僕はこんなプロセスで取組んでいました。
1. テーマに対してどんな商品やサービスがあるか見てみる
2. ついでに自分が好きだと思うデザインなども見てみる
3. もくもくと1人でアイデアをA4一枚に1案を書く、20-50案ほどは出す
4. 出し尽くしたら壁に貼って、自分でアイデアを絞ったり人に聞いてみる
5. 3案くらいを具体的に描いたりカタチをつくって、最終的に1つに絞る
6. 講評で先生や同級生から評価を受けて、次の課題への反省に活かす
というように起点は個人ワークで、脳みそを絞り切るようにアイデア発想のトレーニングをしてきました。1人で考えるときに自分がどれだけテーマに対する世の中のことを考える視点を持てているか、ということが最終的なデザインの提案の質に強く影響していたかと思います。SF映画だったり手塚治虫のマンガだったり、あるいは名盤CDのような世界観をつくりたいといったことが、当時の僕の考え方の源泉だったりしたので、自然と提案するデザインには何かしら自分のビジョンが反映されていたと思います。
その後、こういったプロセスとは反対のデザイン思考の考え方に斬新さを感じるのですが、もともと自分は今でも1人で考え抜くクセがベースにあったので、アイデアワークショップを行うときなど、他の人の色々な考え方を知れるのはいい機会だと感じる一方で、自分の世界感を崩したくないと思う気持ちの葛藤も正直なところあります。
この本を読み終えて考えたことは、どちらか片方の主義を掲げるのではなくて、ものごとには両方の捉え方があって、適材適所で振り幅を持つことができるスキルを備えておくことが大切なのでは、ということです。なぜならデザイン思考も意味のイノベーションも、どちらも最終的に目指していることは同じだと思うので。
最後に僕個人としての見解ですが、デザイン思考はデザイン教育を学んでいない人でもクリエイティブに発想できる手法であるのに対して、"意味のイノベーション" はデザイン教育を受けた人などの考え方や構想をしていくときに自然にやっていた『デザイナー思考』でないかと思います。なので "意味のイノベーション" のアプローチは一朝一夕で身につくものではなく、時間をかけた思考トレーニングが必要だったり適正さもあるかもしれませんが、ここで発揮できるスキルこそが、次のイノベーションを生むキッカケにつながるはずだと考えます。