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100年学習時代(グローバルラーニング・イノベーション)

大学院で学ぶ「学習のデザイン」。今回は書籍の紹介です。

昨年に受けていた授業の本間正人先生は、残念ながら今年で退任されてしまったのですが、ほぼ同じタイミングで新しい書籍を出版されました。(先生はすでに50冊以上出されていますが、本書は集大成的な内容だと思います)

昨年の授業を思い出しながら、論点をまとめてみます。


教わるから学ぶへ

教育とは、教師が一方的に知識を授けるような行為です。対して学習は、生徒や学生が主体的に学ぼうとする行為です。

学校を卒業して大人になったら教えてくれる人もいなくなるけど、学習は自分1人でもできるので生涯にわたってできることです。

かつて学校は、権威に従う者を生産する場でした(特に戦前教育などが顕著)。そこでは教師に従順なよい子が評価されていました。今でもそうかもしれません。でも学習は違います。

  • 教育は外から内へ(受動的)

  • 学習は内から外へ(能動的)

なのでこのnoteのマガジンも「勉強」や「教育」ではなく「学習」です。

最終学歴から最新学歴へ

学習は学校だけに限らないので、学歴が大学や高校の最終だけで判断するのは変な話です。人生は長いので、いま現時点で何を学んでいるかに注目することの方がよっぽど大事です。

高い偏差値の大学を出たあと20年何も学んでこなかった人よりも、中卒でもその後に働きながらも学び続けている人の方が、いまの時代に適した知識が身に付けられています。

なので履歴書の書式は見直すべきです。

ただし、学歴と経験が混在すると、環境による格差が生まれてしまいます。例えば留学経験などです。これは以前、ペアレントクラシーの問題を紹介しました。

学習機会が恵まれているかではなく、本人の学びの主体性を見るために、最新学歴が普及されるとよいかと考えます。

アクティブ・ラーニング

主体的な学びというと、アクティブ・ラーニングです。こちらも以前にまとめてみました。

学習指導要領ではアクティブ・ラーニングを「主体的・対話的で深い学び」という日本語に表現しています。しかし本間先生は、アクティブ・ラーニングを本来的な意味をちゃんと捉えるべきだといいます。

例えば、赤ちゃんは身のまわりにあるものを、触ったり口に入れたりして学んでいます。誰に教えられてやってるわけではないのでアクティブ・ラーニングです。でも赤ちゃんは別に、主体的・対話的に意識しているわけではないです。(この観点の違いが、教師に素直な優等生的な理想像を押し付けている感じがある)

アクティブ・ラーニングは、もっと好奇心を持って試行錯誤を重ねていく中で知る学びです。この違いを理解しないと、対話を重視するだけのアクティブ風の授業が蔓延してしまうので要注意です。

わかるからできるへ

あらためてここで、本書での学習の定義を紹介します。

学習とは「環境に適応しながら自らの特質を発揮していくこと」「自らの特質を活かしながら、環境に適応していくこと」

100年学習時代 P103より

学んだことは使えるようになって、はじめて社会に活かされます。特質発揮や環境適応をいいかえると「知識が血となり肉となる状態」が、学びの到達点です。

日本の教育は「わかる」でおわってしまうものが多いけど、「できる」まで昇華させる学習ステップを意識する必要があります。具体的には次の4ステップです。

  • 第1段階:できないことを意識していない状態

  • 第2段階:できないことを意識している状態

  • 第3段階:意識しないとできない状態

  • 第4段階:意識せずにできる状態

自転車の乗り方や言語習得にあてはめると、わかりやすいと思います。そして、この過程では失敗は問題ではないです。むしろ挑戦を重ねることでステップを重ねられていきます。

テストは失敗を指摘する減点評価の仕組みです。学習ではテストがいかに合わないかということがわかります。

学習学の7原則

教育と学習では、方法や目的が違うことがわかってきました。では学習ではどのようなことを大切にすればよいか、本書では7原則をあげています。

  • 平等:だれもが学習者である(年上でも教員でも)

  • 協力:学び合いをする

  • 多様:個人によって学習の目的は異なる、MI理論に基づいてコーチング

  • 総合:あらゆる学びは根本でつながっている

  • 更新:不変の正解は存在しない、自己ベストを更新し続けること

  • 意味:意味を見出す、やりながら見えてくることもある

  • 習慣:練習や学習時間を重ねて身につける、場数を踏むことが大事

以前紹介した、High Tech Highがこれを体現していると思いました。

今の日本の学校に取り入れていくには相当な難しさがありますが、あるべき姿であるのは間違いないと思います。

学校教育18の束縛

学習学を取り入れにくい要因として18の観点から指摘しています。これを壊せるかが、日本の学校に求められています。

  1. 教育とは学校の先生から教わること

  2. 学校に通うことが学ぶこと

  3. 見えない「義務」を守り続けよ

  4. 遊ぶのは悪いこと

  5. 正解がある

  6. 学校の成績がすべて

  7. 教わっていないことを使ってはいけない

  8. 教科がすべて

  9. 教科書という「過去のこと」を大事にする

  10. 得意科目の延長線上で進路を選択する

  11. 階級社会で濫用される「評価」

  12. 全国一律同じメニュー

  13. 休んではいけない

  14. 問題は一人で解決することが正しい

  15. 先生が同じ授業を何回もする

  16. 知識の保有が幅を効かせる(知識よりも実践)

  17. 「学び直し」も学校教育流

  18. 「学歴」という呪縛

僕は美術やデザインという、上にあげた教育観からはズレた価値観でやってきたので、割と受け入れやすいのですが、まだ上のような考えは根強く残っていると思います。

AIが発展している今、学び方を変革するチャンスでもあります。

学んだこと

教わるから学びへ、学びとはできるからわかるへ、100年人生といわれる現代、学習観のアップデートは不可欠です。

これまで2年ほど教育学について学んできましたが、教育現場をベースにすると、このような視点が持ちにくくなります。なので一歩引いた立場で、知識社会学の観点から捉え直すことが大事だとわかってきました。

自分の論文執筆も終盤にかかってきたので、創造には教育ではなく学習が必要であることを今一度見直して、メッセージ性のある読み物にしていきたいと思います。

今日はここまでです。


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ジマタロ
デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。