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デザインで自由な散文#002『僕と走ることについて』

肺に刺さるような冷たい空気を吸い込む。
夏にはあんなにも生い茂っていた緑も、冬にはすっかり色を落とし、乾いた風が吹けば、体温まで奪われる気がする。
冬の朝のランニングは好きじゃない。こんな修行みたいなこと、なんでしてるんだろうか。

少し前の話になるが、昨年の10月にフルマラソンを走った。
「完走」したという意味だが、ここではあえて「走った」と書く。「完走」という言葉に焦点を当てるのではなく、むしろ僕が伝えたいのは、「走る」という行為そのものの意味だ。

フルマラソンを完走したかどうかは重要ではない。
なぜなら、走り続けれていれば必ず完走できるものだから。

これは、僕がランニングとどう向き合っているかを少しだけまとめた文章である。

村上春樹は『走ることについて語るときに僕の語ること』で、こう述べている。

これは走ることについての本ではあるけれど、健康法についての本ではない。僕はここで「さあ、みんなで毎日走って健康になりましょう」というような主張を繰り広げているわけではない。あくまで僕という人間にとって走り続けるというのがどのようなことであったか、それについて思いを巡らしたり、あるいは自問自答しているだけだ。

『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹

僕もまた、ランニングを「健康のため」とか「自己成長のため」といった一般的な枠に収めるつもりはない。スピード、心拍数、身体の痛み。コンディションの良し悪しが、走ることで浮かび上がる。
つまり、走ることで自分の身体と心の状態を確かめられることができる。

代々木公園のランニングコースは、そんな「自分の身体と心の状態を確かめる場所」として最高だと思う。
春には桜の蕾が膨らみ、夏には生い茂る緑の下を走る。秋には紅葉のアーチをくぐり抜け、冬には冷たい空気を吸い込み、身を引き締めながら走る。

走っていると、昨日の出来事、その日の予定、昔の記憶、漠然とした未来のことが、断片的に頭の中に浮かんでは消えていく。
そして、常にそこには「もうやめようかな」「歩こうかな」といった弱気な考えが並走している。そのたびに自分の中の「もう少しだけ走ろう」という声を信じて、足を前へ運ぶ。

走ることの本当の楽しさは、「走っている瞬間」にはほとんど感じられない。少なくとも僕はそうだ。基本的に走っているときは「早く終わりたい」と思うことのほうが多い。

それでも、走った後の空腹とは違う、内臓が内側からじわじわと締めつけられるような感覚や、脚を止めた瞬間にどっと押し寄せる全身の疲労感、ランニング後のコールドシャワーは、僕をランニングの虜にするに十分な理由だ。

ランニングを続けていると「すごいね」「偉いね」と言われることがある。それもそれで大変光栄だし、人から褒められるのは理由はどうであれ嬉しい。
しかし、ランニングの本当の魅力は他人からの評価ではなく、自分で自分を褒められることだと思う。
タイムがよくなった。距離が伸びた。寒い中でも走った。スケジュールを調整して走る時間を作った。
それらすべてを、自分の尺度で評価し、誇りに思うことができる。

東京のど真ん中の競争社会で生きる人たちにとって、それがどれだけの救いになるか、想像に難くない。

僕は中学まで10年間、チームスポーツをしていた。そして、団体競技には必ず「勝ち負け」がある。
しかし、ランニングにはそれがない。(もちろんレースにはあるけれど、普段のランニングにそれは関係ない。)

孤独に走る日々の中で、定期的に友人と一緒に走り、(彼がいたから続けられたと思う。)その苦しさや楽しさを共有する。
そして、目標距離を走ったら「よく頑張った」と自分自身を、そしてお互いを讃え合う。


40km地点にて。ゴールが近づくにつれて自然と笑顔も増えてくる。
ゴールした瞬間。完走した嬉しさと一緒に走った親友への感謝の気持ちが笑顔に出ていると思う。

最後に、この散文を書くにあたって、マラソン直後に書いた日記を読み直した。
せっかくなので、それにてこの記事を締めたいと思う。
(ほぼ原文ママ)

来年で30歳になる。しなければならないことはたくさんあるのに、何から手を付けて行けばよいのかわからなかった。だからまずは走ってみた。きっかけは幼馴染でもあり、親友と御嶽山に登っている道中での会話だった。「30(歳)までにしたいことある?」という話題から「フルマラソン完走」と「富士山登頂」をそれに決めたからである。
 4月からコツコツ走り始めた。最初は全く走れなかった。心折れかけながらとりあえず3ヶ月頑張って走ってみた。すると、30キロ、50キロ、80キロと少しづつ月間で走れる距離も伸びていき、9月に入るころには1回のランニングで、10キロは余裕に走れるようになった。何か特別なことを意識しているわけではなく、単純に「走る」という行為を積み重ねただけなのに。
 このとき自分の今やっていることが間違いではないということに自信が持てるようになった。
 そして、10月にフルマラソンを完走した。ゴールしたときの瞬間は今でも思い出せるくらい嬉しかった。マラソンまでの半年で500km近く走った。だから自信はあった。それでも完走した自分を褒めたい。誘ってくれた親友をもっと褒めたい。
 マラソンは自分が今まで意識してやってきていることが圧縮されたような出来事だった。「ゴールに向かって真摯にコツコツ積み上げていく。」それが一番大切であることを身をもって確認できた。

僕はこれからも走り続ける。

文章:藤井隼人
挿絵:﨑山龍晴


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