文字組の情報量〜9/4(水曜)デザイン日報
新規ご依頼の打ち合わせ場所に行くのに久しぶりに車を運転しました。途中すごく狭い道があってヒヤヒヤしましたが、なんとか無事に帰ってこれました。
帰り道は少し迷いましたが、ナビ様のおかげで助かりました。まさしくテクノロジーに助けられている毎日です。
テクノロジーといえば、デザインの仕事はもはや、パソコンなしでは何もできないですよね。でもわたしが学生の頃はまだmacが日本に来たぐらいの時代だったのです。デジカメ、とかもなかったし、インターネットも当然なかった。ものすごい勢いでテクノロジーが進化して、新しい仕事が生まれていったんですね。
面白い時代を生きてると思います。幸いまだあと20年くらいは働けそうなので(希望的観測)、この時代の仕事をたっぷり味わいたいと思います。
欲を言えば、死ぬまで働き続けたいです。
夜、夫が読んでいた文庫本の表紙を、しげしげと眺めました。
私は本の表紙も作ったりするので、表紙デザインがとても気になるのです。
私はその本を読んでいませんが、文字組みを見ながら、
「すごく当たり前のことを、横から見たり斜めから見たり、引っ張り回したり、ぎゅうぎゅうに迫ったり、どうでも良さそうなことを大きく広げて考えたりしてる。そして読み手に何かしら意図的にじわじわ違和感を与えてしまう」
ような本じゃないかとデザインから推測できるけど、どう?と夫に聞いたら、
「確かにそんなことが中身に書いてある」というではありませんか。
わーお、すごくないですか、文字組の情報量。
本の中身や雰囲気を伝えることが表紙の仕事だから、このような逆読みをしてみたわけです。
ちなみに表紙はこれです。
デザイナーあるあるでしょうけど、世の中にある制作物を見て、制作者に感情移入しちゃう時があります。あ〜この情報量はきつかったね、とか、この画像だけ荒いの気になったろうな、とか、苦しいとこ逃げ切ってるな、とか。
だからこそ、かもしれないですが、すんごい美しい文字組みとか見たら、きゅんです笑。感動すらあります。思わず検索して、どこの制作会社?とか探してみたり(完全にオタクですね)。
今はなんでも簡単にスピード重視でチャチャッとできるのがよしとされる場面が多いです。ある程度見栄えよければいい。私もそんな職場たくさんありました。この時代のスピードだから仕方ない部分はあると思います。
だから以前、北九州市立美術館で開催された石岡瑛子展に行った時、私は会場に入るや否や、マジ泣きしてしまいました。
そこには執拗に赤ペンで細かく指示を出す仕事の痕跡が残されていたのです。
私は間違ってなかったんですよね、と石岡瑛子さんに言いたかったです。
こんなに必死になってクリエイティブを追求してくださってありがとうございます、と言いたかった。
そんなわけで、昭和、平成、令和を股にかけるおばちゃんデザイナーですけど、日々面白くクリエイティブしております。
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