全く逆効果な教育政策ー教育が貧困を生み出すー
ある日、参議院会館に当時の国政政党から一人ずつ議員を呼び、大学教育の無償化に関する議論をしていた時だった。計9名のうち、ほぼ全ての議員は大学を長期的には無償にする方針に賛成していた。しかし、自民党の議員、そしてNHK党の立花孝志氏の2名だけが反対に手をあげた。立花氏はある興味深い理由を述べた。
この懸念は、鋭い視点を含んでいる。事実、大学進学率が上昇するにつれ、中卒・高卒者の貧困は一層固定的なものとなっていた。最新の研究では、「子どもがいる割合」「子どもが三人以上いる割合」は、大卒で正社員ほど上昇することがわかっている。非大卒者の実情は、結婚する、子どもを産むなどという選択肢は経済的に現実味を帯びていない。今日では、大学に行かなかった者は学歴要件を満たさずに、実に全体の4割の雇用のチャンスを失っている。1970年代までであれば、大学や高校を卒業していなくとも「いい仕事を見つけて中流階級として快適に暮らすことが可能だった」(サンデル, 2021)とされているが、現状それは難しい。つまり、教育政策にお金を出せば出すほど、貧困は深刻化しているのである。
私たちは、教育政策にお金を出すことは良いことばかりだろうと思い込みがちだ。報道ではたびたび、貧困世帯の進学率が極めて低いこと、学力が低いことなどを問題として大きく取り上げる。結論は決まって「政府が教育政策にお金を出さないからこういうことになってしまう」というものだった。しかし実際のところ、高校を無償にし、次は大学を無償にしと教育を拡大すればするほど、逆に「高校をやめてしまった者」「大学に進学しなかった者」の貧困はより一層ひどいものになっていくのである。
進学率の低さは「貧困の連鎖」を助長するとあるが、これは大学に行かないなら貧困で当然だという立場を擁護してしまっている。つまり、進学することで貧困が解消されること自体が変なのであって、教育政策こそがこの「貧困」を生み出しているのである。
教育政策にお金を出すことは良いことという発想は、確かに正しい側面が多いのは事実だろう(私も大学教育無償化の政策には賛同し、それどころか学生運動までしてきた)。しかし、少なくとも「貧困」と教育政策を語る時、教育こそが貧困を解決するという論調は明らかに間違っている。教育こそが貧困を作り出してきたのである。
以下の引用は、この事実をよく表している。
学歴差別禁止法の提案
では、どう解決すれば良いのか。それは就職において学歴で採用を区分することをやめるということである。高卒・短大卒・大卒の区分を設け、採用を行い、賃金も分けるという雇用形態が、一般化するにつれて非大卒者の貧困はますます深刻なものとなっている。私が大学無償化の政策に賛同する条件は、この法案を成立させることである。「学歴差別禁止法」というような直接的な名前ではなくとも、例えば旧・雇用対策法(現・労働施策総合推進法)において原則年齢差別を禁止している条文を改正する方法がある。
ここに「学歴」を加えれば良い。
もちろん、研究職・技術職・資格職などのいわゆる専門職の募集は例外として規定すれば良い(将来的にはこの制限もなくした方が望ましいのだが)。これは十分な解決策にはなり得ないが、ないよりも幾分もマシであろう。