goki医学2 ~南方熊楠、養老孟司、看護師~
「goki式健康法」は今後「goki医学」と改名して研究を継続していくつもりです。「goki医学」は南方熊楠、養老孟司先生の哲学に近い考え方を持つ。基本的に身体は洗剤で洗わない方がいい。洗剤や消毒液を使った洗浄、消毒というのも誤った医学です。細菌やウイルスは根絶するものではなく共生するもの。
洗浄は目につくくらい汚れた部分だけ水かぬるま湯で洗浄すればいいのです。洗剤は人間の本来持つ免疫力を低下させ自然治癒力を奪ってしまう。特に界面活性剤は絶対にダメです。使うならお酢や重曹、塩などを洗剤にするべきです。予言しておきますが22世紀には「goki医学」が医学の常識になっているはず。
白衣をまとって手指がボロボロになるまで異常な消毒洗浄を繰り返して。一年中マスクで顔を覆って。こういった現代医学の常識はやがて誤りであったと医療従事者たちも気づくときがくる。わたしは医学という専門知識のまえに生物として常識的な話しかしていないんですね(´・ω・`)
これは仏教的な思想ですけれども。本当は最初からみんな繋がってんじゃないかって(養老孟司)
多くの医学の専門家がコロナ対応を間違えたのもそもそも現代医学自体が根本的に間違ってるのが大きい。パンデミックの最中、養老孟司先生は最後までマスクもしなければワクチンも打たなかった。「碩学的医療」「総合知的医療」。それはつまり当たり前を当たり前のこととして受け容れるということ。
「goki医学」はいま左巻健男先生の「癌治療の研究」に注目しています。わたしはなにも現代医学のすべてを否定している訳じゃない。逆です。現代医学というのはよくできていてその9割は正解であると。基本的にわれわれ碩学の研究は「温故知新」が前提です。先達の残した大切な叡智を発展させてゆく。
「goki医学」にできることは現代医学へのわずかな上積みなのです。既にある知恵や技術を大切に継承発展させ、その上で上積みを乗せられれば僥倖(´・ω・`)。
現在のわたしは医学は門外漢ではありますが。経済学、哲学を修めたのちどの専門分野に傾倒しようか悩んでるところです。法律もいいが医学もいい。看護師という選択肢もある。看護師の友達はたくさんいます。彼らから教授された医学知識は今のわたしの研究の基盤となっている(´・ω・`)
現代医学の基礎は「731部隊、石井部隊」にある。彼らが旧植民地で行った貴重な人体実験のデータが厚生省、ミドリ十字、そして進駐軍との司法取引を経てアメリカに渡った(´・ω・`)
看護師は医学の専門知であり医療の現場を取り仕切っている存在。その生態はこの10年つぶさに見てきた。看護師の最高峰は東大理科二類から東大医学部看護学科。東大大学院を経て東大病院で医学研究者となる。まあそれは極端な例ですけどね(笑)。ただ医学を修めるのに看護というのは適切な選択肢。
医療従事者ならば医学の専門家として「LGBTの研究」を論文として発表してもおかしくはないのでしょう。なにせノーベル賞をはじめ多くの学術界は専門知の功績しか想定していない。就活などで散々「要するに貴方は何の専門家なのですが?」と聞かれたが。
東大ですらごく最近まで伊東乾らの学際融合プログラムをこころよく思わない専門知ばかりであった。たしかに東大は2027年に文理融合学部「College of Design」を創設するがわたしの学力では受かりそうにない。わたしのようなタイプに必要なのはMARCHレベルの入試問題で5教科7科目の「碩学入試」である。でなければ本物の天才たちは掬えまい。