コロナの研究3
コロナ狂騒曲に対しては当初から違和感はあった。原病院でもソーシャル松戸でも「あなた方のやり方は間違っている」ということは筆を尽くして訴えてきた。わたしの主張にも根拠があった。東浩紀、アガンベン、ジジェクなど、パンデミックを大きく俯瞰しながら読み解く哲学者たちが初期から存在したからだ。
小林よしのり、堀江貴文、倉田真由美などの見解も大きな役割を果たした。ただ、おかしいと思いつつもマスクなどは公共性を鑑み世間の趨勢に従ってきた。それはマナーであるから。一方で、非人間的な社会活動が永続するなどとはとても思えず、控えめに警鐘を鳴らしてきたつもりだ。
わたし自身ワクチンは一度も打っていない。今後は日本製ワクチンの完成など安全性が確認されてから季節性感冒対策の一環として毎年打つつもりではあるが。
自分が間違えない人間だなどというつもりはないし、むしろこれまでの人生間違えだらけであった。ただ、根拠をもって正しいと思うことは今後もSNSでは発信していこうと思います。とりあえず今は「ITO派経済学(バルク経済学)」「LGBTの研究」などの完成を急いで、世の中を良い方向に変えていきたい。
ただひとつ政府、マスコミ、学者が責任を負わねばならないと思うのは、コロナ関連の言論規制をYouTube、TwitterなどのSNSでかけてきたこと。コロナ対策やワクチンに対して懐疑的な主張に対してことごとく規制、削除などの措置をとってきた。
こういった言論統制が、正しいか間違っているかに関わらず、最終的に碌な結果を招かないというのは、太平洋戦争下の日本など、歴史の教訓に学べば自明であったはずだ。「あなたの意見には賛同できないが、あなたが意見を述べる権利は全力で守る」と。こういった民主主義、ある意味哲学的に普遍の原則を守らなかったのは痛恨の失敗ではなかったか。
当初はコロナの正体など誰も分からず「皆しょせん付け焼刃」という社会学者もおられたが。そういう中でも言論の自由だけは守り続けることが、結局は社会全体の利益に資するという教訓が今回得られたのではないか。
要するに弁証法であると。
伊東乾たちに訴えたいのは。何よりも優先すべきは科学者個人の自尊や感情より、公共の福祉と利益でしょう。所詮、コロナに対する科学者の持論なんてものは2年以上前に、まだコロナの正体も分からなかった時期に立てた「予想」に過ぎなかったのですから。
データが出揃った今それに固執する理由は何もないわけです。現在伊東乾たちがすべきことはファクトとデータに基づいた「本当に科学的な」検証。ワクチン被害、マスク着用の負の側面、行動制限による特に子供たちの発育への悪影響。こういったものを検証し、「本当に科学的に正しい」コロナ対策。今後数百年続くコロナと人類の上手な付き合い方。
そして、政治、経済、文化などへの悪影響といった「碩学」でしか読み解けない文脈に舵を切り替えるべき。今後さらにあらゆる分野のデータがあがってくる。それらを読み解き検証し教訓と未来への最善の布石を打つのが伊東乾らの本当の役割。いつまでも過去に拘泥しないこと。未来思考で前向きに。
そして「碩学」にしか読み解けないgenuineな「コロナの研究」が完成すると。