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バンジージャンプ哲学
あけましておめでとうございます。
年明け、やったるで!!という気持ちが高まったので、竜神大橋でバンジージャンプをしてきました。
僕の今年の目標は「自分の中の三歳児を愛する」というものです。
3歳児の僕は、よく、アパートの二階の廊下から駐車場に飛び降りて遊んでいました。
なので、26歳児になった今、もう少し高いところから飛び降りてみようかな、と思ったので、バンジージャンプをやりました。
今日の学び: 僕の断末魔の叫びは「うわぁぁぁ」でも、「きゃぁぁぁ」でもなく、
— Ryuta Fujii / SSAADN (@derjapanerr) January 5, 2021
Booooooom!!!!!!! pic.twitter.com/6ambjZw7vA
「Boooooooooooom!!! ウェイ最高卍!!!」で終わらせてもいいのですが、折角なので、やってみて気づいたこと、得た学びをまとめてみようと思います。
なんでも、「飛ぶ前」が一番怖い。飛んだ後はどうにでもなる
バンジージャンプの場所に着いてから、飛び終わるまで、一番怖かったのは確実に飛ぶ前でした。
駐車場に降り立って、実際に吊橋の高さを見て、それまでただの映像で見たことのあるイメージでしかなかった「バンジージャンプ」という概念と、なんとなくの数字だった「高さ100m」が、圧倒的なリアリティを持って目の前に立ち現れてくる感覚。
そこから、怖さゲージは飛び降りる直前のカウントダウンまで、上昇し続けていました。
しかし、実際に飛び降りた後は、急激に怖さが減少していく感覚がありました。
この感覚、結構人生のいろんな局面で似たようなことが、色々な時間のスケールであったな、と思いました。
・アメフト試合、全国決勝で、明らかに自分より体格が良い相手にぶつかって行く最初の瞬間までと、その後の心の動き(1時間くらいの動き)
・エンジニアになろうと思い、なんとか会社で配属を獲得し、いざ新しい部署で仕事を始める最初の日までの心の動き
・クラブで遊んでいて、その日いいなと思った女の子に最初に声をかけるまでの心の動き
どんなときでも、何かに挑戦するときの怖さや、ためらう気持ちの急上昇が急下降に変化するのは一瞬で、緩やかに下降していくような性質のものではない気がします。
なんというか「怖さの臨界点」のようなものが存在する。
そして、一度「臨界点」を超えてしまえば、結果がどうであれ後は身体が自動的に動いていくような感覚があります。
「飛ぶ前」の怖さをどうにかするためには「いま・ここ」にだけ集中する
飛ぶ前の、怖さが最高潮に達した状態で、それでも多くの人はもう橋まで着てしまったので飛び込みます。僕も例に漏れず、かつ結構思い切りよく飛び込むことができました。
でも正直、飛ぶ前はハチャメチャに怖かったです。一瞬、一瞬だけね!!
ただ、いざ吊橋の端に立って、お兄さんが「前の山だけを見て〜」と言って、カウントダウンが始まる直前になると、不思議と
「とりあえず、飛ぼう。」
という気持ちになり、無心で飛ぶことができました。
このとき、どういう心の動きだったか、後から振り返ってみました。
正直うまいとは言えない絵ですが、飛ぶのを少しためらっていた状態と、いざ飛ぶ状態には、こんな感じの違いがあったと思います。
ためらっていた状態の時は、かなり色々と頭で想像を巡らせていたと思います。
・落ちたときにどんな感じになるんだろう
・スピードはどれくらいだろう
・いつくらいに跳ね返ってくるんだろう、その時の感覚はどんな感じだろう
みたいな。
これは、期待と怖さが混じったような感情だったと思います。
頭が思考で埋め尽くされている状態だと、常軌を逸した行動はできない、というのが分かりました。
そして、いざ常軌を逸した行動をしなければならない、その直前には、さっきまで考えていた諸々の思考が全て消え去って、
「俺はいま・ここに立っていて、前に向かって飛ぶ。それだけ。」
という風に思考が収束していきました。
落ちた後のことも考えていないので、なんというかその瞬間は怖さもなかったです。
このメンタルの状態、多分人生において常軌を逸した結果やアウトプットが出るときの状態なんだろうな、という気がしました。
ただ、いま・ここに集中して、無心で何かをやる。
この状態を、仕事やライフワークや人間関係で、自分の中でできるだけ頻繁に引き起こせると、自分にとっては「豊か」な人生が送れそうだな、と思いました。
何をやるにも、ある程度の予測や、起こりうるリスクの想定は必要ですが、そのフェーズを自分でしっかり終了させ、いざ行動に移るときは、一旦無心になる。これがなかなか難しいのですが、この心の動き、感覚を大事にしていきたいです。
人生の挑戦、大体バンジージャンプみたいなものじゃね?
バンジージャンプは、かなりの確率で死ぬことはありません。
バンジージャンプをした後に僕が思ったのは、
今の戦時中でもない、日本という恵まれた国で生きている自分にとって、ほとんどの挑戦は、怖いけど死なない、バンジージャンプみたいなものだな。
というものです。
例えば、「自分の全臓器を担保に借りた金で起業する」とか、「ある戦場の激戦区で一週間生き延びたら1000万円もらえるチャレンジに参加する」とか、そういった挑戦は、バンジージャンプではなく、紐なしで吊り橋から飛び降りるようなものだと思います。
けど、恐らく今の日本社会において、そんな紐なしバンジー的な挑戦はないし、恐らくある一時期で「ああ、失敗した。終わった。人も離れていくし、金も家もない。」と思ったとしても、バンジーのゴムで身体が引っ張られるように、その失敗を「バネ」にして力強く飛び上がることはできるな、というのが身体で分かりました。
なので、僕はこれから、人生の色々な局面で「バンジージャンプ」的な挑戦をしていこうと思います。
これを読んだ方が、それぞれの「バンジージャンプ」を踏み出す勇気を得られることを祈って。
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