しあわせって
肯定されることなんじゃないかと思った。
もっと言えば、大切な誰かと同じ景色を見て、きれいだと言い合うこと。
一人で旭川をテクテク歩いていたら四つ葉のクローバーを見つけた。
青年さんと過ごした時間を、もらった愛みたいなもの(ジェネリックの愛)を、ふわふわと抱えて歩いていた。せっかく上がった気分を下げてしまうのはもったいない。
四つ葉のクローバーが
「そうだよ」って言ってる気がした。
とことこきつねが歩いてきた。写真を撮ろうとゴソゴソしているうちに、どこかへ行ってしまってもよかった。なのに、いてくれた。
きつねも「いいんだよ」と言ってくれた。
神社の境内に入ると、涼しい風が吹いて、風車をまわす。それだけで。
それだけで受け入れられた気持ちになる。
ホッとして涙が出てきた。
斎藤一人さんが教えてくれた。
誰も話す人がいない人は、木に手を合わせて話をしたらいいよ。
北海道護国神社に樹齢400年の楡の木があった。ふわっと抱きついた。そうしたら、次から次へと涙が出てきた。なんの涙かはわからない。激情。
多分、それを私が見たら、「なにをそんなに悲しんでいるの?」と思う。でも悲しいとは別の、悲しいと嬉しいが混ざったような。または受け止めてもらった安堵のような。
ひとしきり泣いて、神社内の池を眺める。奥の方から真っ白な鯉が悠々と泳いできて近づいてくる。
挨拶をしにきてくれたように思った。「ようこそ。よくきたね」
トンボを捕まえるコツは、集中しないこと。トンボを捕まえようと思わないこと。
秒針を見ながら、息を止めていたら、どうせ呼吸せざるを得ない。洗面器でもそう。どうせ皮膚が呼吸している。
私が私らしくあるためには、まず私を見つけなくてはならない。もう遠すぎて探せない気になる。
子どもの時の一人遊びの記憶。
ずっとひとりぼっち。時間がおともだち。いろんなものを凝視していたら時間を潰せた。不思議を探して見つめ続ける。
母の意のままに服を着せられて連れていかれるオーケストラ。タンスの匂いで出かける前から酔った。バスの匂い、振動。電車の轟音。たくさんの視線。きちんとしていなくてはならない。落とし物をしてはいけない。なにをされるかわからない。ずっと緊張していた。
バイオリンの音が不安定で不安を誘い吐き気がする。2時間か3時間、じっと座っていなくてはならない。気色の悪い音を聴きながら、死体のフリをし続けた。
利用する人たちに利用されつくして、無関心な人とずっと一緒にいて、なにが愛なのかわからない。好きでもない人に優しくできるのは、興味がないから。興味を持ったら、愛されていないことに気づくから。
1111…
777…
2222…
1116…
555…
49…
51…
ゾロ目や自分に意味のある数字が目に飛び込んでくると承認を感じる。守られていると思う。繋がっていると思う。なににかはわからないけど。
青年さんが
愛は偶数だよ
って言った。
あなたは恵まれている
あなたはいいわね
ずるい
あの人の方がよっぽど苦しい
私が悪い
私が悪ければおさまる
私が言わなければ
私の機嫌がよければ
私が悪い
誰にも見せないで神社に行った
そこで手を合わせた。
好きでもない人を心を込めて看取った。親切にした。見返りなどいらなかった。もらえるわけもないことを知っている。空気みたいな存在。
軽くて楽しい瞬間を否定され続ける。後から総括が待っている。私の努力も幸福な時間も、机の上に並べられて批判される。
誰も知らない。
言ってもわからない。
言っても贅沢だ、わがままだと言われる。
カサンドラ。
もっとわかりやすい形だったら、と思う。
好きか嫌いかを問われて、パニックになることが正常だとは思わない。正常の定義もわからない。
数字が揃った、ただそれだけで、喜べるのは本当。そしていい感覚。ただし奇数。
思わぬところで答え合わせをして、嫉妬が再燃した。:愛を比べる必要がないとわかりながら、他人に愛が注がれるのを見て、私は惨めになった。
記憶が少しずつ開放されている。感覚は鈍麻したまま、一瞬一瞬の感情が鮮明だ。2、3歳から小学校くらいまで。
見える形で傷を残そうと、腕を切っている。痛くないから、本当じゃないのかもしれない。
愛する人が必要で、その人に愛されることが必要だと知った。
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