少しずつ、本が読めるようになった
顔を見るなり、その人(薬を処方してくれる医師・4回目)は言った。
「調子よさそうだね」
直前、待合室でメソメソしていた。涙も拭かずに診察室に入った。それにも関わらず、そういった。
「昼間眠たくて仕方がないんです」と訴えると、眠くなる薬を半分量にしてくれた。
私以上に私のことをわかってくれているように感じた。なんとなく。
ここのところ、朝起きたら泣いて、コーヒーを飲みながら泣いて、少し心が動くと泣いた。一見調子が悪いようにも思えるが、よくなっているのがわかる。欲が出てきていて、自分のための買い物をよくするようになっていた。弁護士さんにアポイントを取り、今後のことを相談したりもした。宝石店に立ち寄って、欲しいと思っていた指輪を見せてもらった。キラキラと輝いていて美しかった。はめていた指輪もきれいに磨いてもらった。かわいそうなくらい曇っていたのが、輝きを取り戻した。
先生(私のコアな医師)に「もう一年以上青年さんの切り抜きチャンネルを運営していて、ほとんど毎日投稿を続けています」というと、半ば呆れたような様子で「そう」といった。それは好きでやっていて、何の負担にもなっていないんですけれど、結局、おせっかいというか、他人のためというか。自分のこととなると、てんでできなくなっちゃうんです。「そうだろうね。自分のためにすることには報酬がないからね」と。(わたしはここで、ぽかんとしている。理解できなくて)報酬とは?
あと二つレポートを提出すれば、資格の単位が取れるのに、1日もあればできる内容に、うんうんうなり続けていたのだ。何年も何ヶ月も。そして、「めんどくさい、しにたい、めんどくさい、死にたい。」とずっと言っていた。うろうろぶつぶつ。。。最後に先生は穏やかな声で、「とりあえず、出す出さないはともかく、おやりなさい」と背中を優しく押してくださった。よかった。その晩、なんとか深夜までに2つのレポートを送信することができた。あとは野となれ山となれ。
次の診察で、単位が取れたことを告げると、先生は喜んでくださった。「よかったねぇ」って。私は「先生、わたしには(自分を喜ばせるのに)報酬がないってどういうことですか?」と尋ねた。「喜んだりすることにストッパーがかかっているんだよ。幸せにならないようにしている」
青年さんが前に教えてくれていた。「幸せになりかけると人は不幸を探し始める」って。無意識に自然に軽やかに無自覚にそれをやってる。
息子たちが「よかったね。」って外食に誘ってくれた。嬉しかった。みんなの時間が合わなかったから、ピザを取ってもらった。照り焼きチキンが乗ったやつ、食べてみたかったの。でもやっぱりぽかーんとしてた。お祝いって?へぇ?って。不思議で嬉しかった。
今までだったら、そんなのいいよ〜って断っていたかも。ちゃんと受け取れてよかった。期待していない分嬉しさ倍増だった。
期待についても先生に伺った。それは、幸せを求めることとイコールだよ。と。またぽかーん。先生は、いつも、丁度いいタイミングで言葉をくださる。だから、人生に「期待する」時期が来ているのだと思う。何をどうするかは、まだわからないけれど。
そうそう。すこし、本が読めるようになった。うつのせいで本が読めなくなっていたけれど、決定打は、夫の不倫の理由の一つとして、私が本ばかり読んでいたから、と言われたこと。一日の終わりに、布団の中で小説を読むのが至福の時間だった。夫はスマホでYouTubeを観ていたから、好都合だった。だから、本当は、読書が不倫のきっかけではないのだけれど、そう言われたことは、ショックを通り越してしまったのだと思う。本を読もうとすると、頭がしびれたようになってしまい、内容が全くつかめない。他人の嘘話(小説)に身を置くことがあほらしくなった、というのもある。
一行も読めなかったのが、最近、すこしだけ読めるようになった。スペースや、ボイポコでみんなが聞いてくれるのも、ありがたい。(声を出して短い絵本を読むのは読めた)みんなのおかげさま。ありがとうございます。
ところで、トップの画像は、私の大好きな上司だった人の本のPOP。彼は本を出している。
1年半という短い時間だったが、彼の仕事はしっかり見て学ばせてもらった。気になる本が出版されるとすぐさま読み、(ミステリー小説がほとんどだった)すぐにPOPを書いた。そのスピード感。そして、その本の魅力を捕まえるのが上手だった。それを言語化するのも。当然よく売れた。
彼が亡くなってからも、そのPOPは生き続けている。時々いろんな書店で見かけることがある。すぐにわかる。その前で私は少しだけほろりとして、そして、POPを眺めて、その本を魅力的だと思う。今までは読めないことがわかっていたから、買わなかったけど、今度見かけたら買ってみよう。
今思い出したけれど、梅原さんを追って、後追い自殺をした。そうだった。そうだった。うつ病が死に至る病だと、その時初めて知ったから。
ごめんなさい。梅原さんがうつ病だったのかどうか、自死を選んだのかどうか、私は知らない。ただ、亡くなったことを知って、後を追った。尊敬していた。仕事が面白かった。大切だった。
そのころ、こびりついていた思い。亡くなった人たち、皆が乗り込んだ船が、定員一杯になったって思った。次の船は行き先が違うんだって思った。乗り遅れることが、恐怖だった。結果、しっかり乗り遅れた。変な考えだとは自覚しているけれど、真剣にそう思った。
乗り遅れたおかげで、青年さんと、その周りの方々と出会った。よくわからないけれど、ラッキーだったんじゃないかな。
ほら、また、期待をごまかそうとしている。
青年さんとずっと楽しく遊んでいたい。その鎖からは、手を離さない。
鎖の長さはその時々で変化するかもしれないけれど、手ばなさない。そばにおかせてもらえればね、のはなし。