私の光。私が照らすもの。
こんにちは。新しくできたフルーツパーラーに入ったら、価格に見合わないサービスだった。価格に納得するまで、セルフサービスのドリンクを何杯でも飲みながらダラダラする。
青年さんは自分を透明だと言っている。透明は役割を担わない色。無色。
色の三原色を組み合わせると、さまざまな色を作り出せる。パレットの上には三色だけ。それを調合して目にうつる色を出す。小学校の時の美術の先生が、写生の時に教えてくれた。この先生のこだわりもあって、この年の私の絵は全体的に薄暗くなった。
絵の具の三原色を合わせると、限りなく黒に近くなる。グレー。混ぜれば混ぜるほど、黒に近づいていく。絵全体が暗いのは、そういうこと。
これに対して、光にも三原色があって、こちらは、混ぜると、というか照らすと、三色が合わさった部分は白色光になる。
こんなことを思い出していたら、青年さんみたいだな〜と思ったの。いろんな色を取り込めば取り込むほど、眩しく光る人。
ところがどっこい、白色光どころか、透明だった。透明はそこかしこにあるし、視覚的に邪魔をしない。時々虹を見せてくれる。きれいな夕焼けも。
路地裏の油じみたマンホールも、道端に座る男のなめしたような茶褐色の皮膚も、白く塗りたくって黒く縁取った老婆のフリルのワンピースも。
そのままで、透明をとおすと美しい。
人の美しさも、優しさも、眩しいほどの若さも、醜い争いの末の言葉も、ずるさも、傲慢さも、数えきれない身勝手さも。
透明をとおすと、愛しい。
私の住む世界は、青年さんの光で溢れている。そして私は私で、一つの灯りとして、光る。
とりあえず、大丈夫という名の猫と、愛という名の犬。それから、アン・ドゥ・トロワの息子たち。
大好きな職場、好きな人たち。
青年さんと、青年さんが大切に思っている愛しい人たち。
ピカピカ照らす。
あ、青年さんは透明だから、青年さんを照らせば、全てを照らせるってわけ?
とにかくピカピカ光っておきます。それぞれでね。
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