もう過去のこと
今まで別に言えなかったことを書いてみようと思った。1週間ほど悶々としながら、泣きながら書いていた。そうしたら、書き上がってもいないのに、青年さんから返事のような言葉を受け取った。一気に記事が古くなって、過去になった。
以下
しんどかった。
10月半ば頃から、徐々に落ちていたが、年末年始には、もう地を這っていて、2月に、地面にめり込んだ。3月は記憶がない。
私にとって、月10日ほどの出勤は、仕事というよりは、気分転換だったり、趣味に近くて、天職ってこういことか、という感じで、嫌なことなど一つもない。それなのに、仕事に行くことが、しんどくなった。
このことは、自分の調子の悪さを自覚するには十分だった。このまま崩れてしまうのが怖かった。
無価値なのが怖い。自分など価値がない、と思う。ずっとそう思ってる。臭くて汚くて、さらに古くなった。鬱陶しい。つまらない。醜い。実際はそんなことないのかもしれない。でも、交差点で信号を待っていて、誰かが笑い合っていると、自分のみっともなさを笑われていると思ってしまう。
夫が不倫していたことがわかって、超えた。私はみっともなくて、汚くて魅力がない。女性性を否定された気がした。
理性で、そんなことはない、あってもほっとけ、とわかるけれど、瞬時に感じてしまうから、打ち消す作業が一手間入る。しんどい、だるい。
そして、調子が悪くなると、打ち消すパワーがなくなる。どっぷりと無価値感に浸った。消えてなくなりたいーーー。死ぬ価値もない。
希死念慮がだるいのは、「死にたい」と思う自分に、「どーせ死なないじゃん」「本当は生にしがみついているくせに」とかなんとか、励ましなのか罵声なのかわからない言葉が降ってくるから。
リスカもODもピアッシングも私の救いにならなさそう。その他を探していた。
なんだか手厳しいのだ。
人には、心から優しくできるのに。
あ、そうか。今度は「そうだね、死にたいね」をトッピングしてみよう。
こんな感じで、私は私の手厳しい裁判官を飼っている。いや、飼われている?監視されている?
目の前で、誰かが何かを言って、返事をするまで。地球を一周回る。その間、裁判官が感情や発する言葉を事細かに検閲する。そして感情は封鎖され、発する言葉は無難かつ適当と思われるものが採用される。
と、こんなにめんどくさく、不毛な活動をしているのは、「そうしないと生きてこれなかったから」と今はわかる。
虐待を受けていたわけではない。「いい母親だった」母は、いい母親であろうとした人だった。そして実際に、周りの人たちから見たらいい母親だったのかも。今になって言えるのは、これは精神的な搾取だったよなって。
私の才能も、好奇心も、芽が出ればすぐに摘み取った。
やること、言うこと、感じること全てに「なんでそう思うの?」「なんでそんなこと言うの?」「なんでそう感じるの?」と責められ続け、日々愚痴のゴミ箱にされ、生まれたことすら無邪気に否定されていたら、地球を回るくらい、わけない。挙句に「この子は何にも言わない」と嫌味を言われる。
裁判官のおかげで、私にはタブーがいっぱい。しんどい。そう感じてはいけない、ってかなりしんどい。素直に表現してはいけないって、しんどい。中学生の時、もう自分で決めることをやめた。本当の気持ちを、頑丈な箱に詰め込んで、鍵をかけ、さらに箱に入れて、何重にも入れて、鍵をかけた。高校生の時には、自分が何者かわからなくなっていた。鍵をなくした。
そのうち授業中にパニック発作を起こすようになったけれど、当時、その言葉や概念がなかった。脈が異常に早くなり、周りの空気がゼリー状になって、吸えなくて苦しいし、リアリティーがなくなった。それなのに、そのことは知られてはならなかったから、必死に平静を振る舞った。
長男を産んで、一緒に過ごすうちに、あれ?母の私への態度や声かけは、おかしかったんじゃないか?と初めて思った。
母が嫌いだった。こどもを産んだら親のありがたみがわかる、なんて言うけれど、全く逆のことが起きていた。そんな私を裁判官が許すわけもなく、キリキリと締め上げた。甘えだ、と。私は酷い、と。
いろいろと本を読み漁った。
裁判官はインナーマザーというらしい。
アダルトチルドレンという概念があるらしい。ただし、当時はアルコール依存症の親に育てられたこどもの傾向として語られていた。
私には決め手がなかった。五体満足で一般的と思われる家庭に育ち、虐待もなかった。
そして、父親の転勤で各地を転々としたこと、他人は敵だと教えられていたこと、生活に厳しい規則があったことが、やたらと従順で、真面目で、いろんなことを器用にこなせてしまうところが私を孤立させた。閉鎖的な世界で生きてた。
私のことを、ずっと知ってくれている人はいない。両親や兄弟からも興味を持たれていなかった。親戚付き合いもない。
振り返れば、手を差し伸べてくれた人もいる。でも、好意を好意と受け取れず、嫌悪さえした。
食器を洗っていると、排水溝から悪いものが出てきて、私を罵る。激しい感情。お皿を叩きつけたい。これは多分フラッシュバックだったのかな。わからない。
いろんな病院も行った。
本も読んだ。
夫にたくさん話をした。
そして今やっと
「誰も助けてくれなかった、助けを助けと気づけなかった。洗脳されてた」と訴えても受け止めてくれる先生に出会った。
そして、青年さんに出会った。
この辺りのことは、また別に書きたいけれど、面倒になってしまうかもしれない。
奇跡的なアンサーブログは以下
私は、たゆまぬ努力なのか、諦めなのか、はたまた絶望しきったからか、居場所を手に入れたのじゃないかと思う。
青年さん号という船で旅をする。
9割が嘘だと言うけれど、大切に扱ってくれているのは本当だと感じてる。
この気持ちに、あえて名前はつけない。全てを含んでいる。平坦に言えば、好き好き大好き。
青年さん、いつも、ありがとう^ ^。
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