第五巻 第二章 武断から文治へ

〇徳川家綱(正装、中年)
N「家光が死去すると、長男の家綱が四代将軍となる。治世は二十九年にわたったが、男子には恵まれなかった」

〇江戸城の一室
徳川綱吉(三十五歳)と堀田正俊(老中・四十七歳)が会話している。控えている柳沢吉保(二十二歳)と牧野成貞(側衆・四十六歳)。
N「そこで家綱が死去すると、弟の綱吉が養子として、五代将軍に就任した」
綱吉「兄上……義父上は、幼くして公方にお成りあそばしたゆえ、政治は老中に任せておられた。だが、余は館林藩主として、政治の経験もある。自ら政治を執り行うゆえ、左様心得よ」
正俊「は……」
不安の色を隠せない正俊と、頼もしげに綱吉を見る吉保。
正俊「して、上様におかれましては、どのような政治をなさるおつもりでございましょうや?」
綱吉「法治の徹底じゃ。情実を廃し、外様だけでなく、譜代や幕臣にも、厳しく公正に接していきたいと思う」
少しほっとする正俊と、『さすがは上様である』という顔の吉保と成貞。

〇江戸城の一室
綱吉(三十六歳)と正俊(四十八歳)が会議している。
綱吉「……越後高田藩の争い、喧嘩両成敗で裁きたいと思う」
正俊「しかし、一度は美作方が正しいと、評定所が裁定を下した一件にございます」
綱吉「無論、誤った裁定を下した評定所の者たちも処罰する」
正俊「そ、それは……外様にならともかく、高田藩は譜代。評定所の者は幕臣にございます」
綱吉「なればこそ厳しい裁定をせねばならぬ。この綱吉の治世に無法は通らぬこと、まずは身内から知らしめるのじゃ」
綱吉の真摯な姿勢に打たれる正俊。
N「綱吉の治世の特徴は、法治の徹底と、譜代・幕臣に対する厳しい裁定であった。この綱吉の治世の前半を『天和の治』と呼ぶ。二年後、綱吉によって改正された『武家諸法度』は、第一条を『文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事』から『文武忠孝を励まし、礼儀正しくすべき事』へと改められた」

〇江戸城の一室
綱吉(三十八歳)が『論語』を手に、幕臣たちに講義している。幕臣たちの最前列に、柳沢吉保(二十五歳)と牧野成貞(四十九歳)。
綱吉「『過ちて改めざる、是れを過ちと謂(い)う』……」
思わずあくびをする幕臣をにらみつける吉保と成貞。縮こまって姿勢を正す幕臣。
N「綱吉は学問好きな将軍としても知られ、幕臣に自ら『論語』など儒教の講義をすることもあった」

〇刺殺される堀田正俊(五十一歳)
N「貞享元(一六八四)年、大老の堀田正俊が江戸城内で刺殺されると、綱吉は老中を遠ざけ、柳沢吉保や牧野成貞ら、側用人と共に親政を行うようになる」

〇江戸城の一室
綱吉(四十二歳)、吉保(二十九歳)、成貞(五十二歳)が会議している。
綱吉「江戸城内で大老が刺殺されるなど、二度とあってはならぬ。このようなことになったのは、何故だと思うか」
吉保「……上様はいかがお考えで」
綱吉「うむ。神君(家康)さまから父上(家光)までのご時世は、武を天下に知ろしめす必要があった。義父上(家綱)の代からは、法を天下に知ろしめす世となった。そして余の代からは、仁を天下に知ろしめす世としてゆかねばならぬ」
成貞「仁の心……為政者にとって、なくてはならないお心にございます」
綱吉「(上機嫌で)うむうむ。だが余一人が、仁の心に溢れていようとも、それが民草にまでゆきわたらねば意味がない。そこで余は、この法を施行しようと思う」
綱吉、懐から奉書を取り出す。顔を見合わせる二人。

〇江戸・下町
長屋の並ぶ町中で、子供たちが犬を追い回している。と
役人「こら!」
わっと逃げ散る子供たち。一人が役人に捕まる。子供の母、慌てて飛び出してきて
子供の母「申し訳ございません! 子供のやったことです! お見逃しを!」
役人「ならぬ! お犬さまを追い回す者は、子供であろうと厳罰じゃ!」
わっと泣き伏す子供の母。
N「後に『生類憐れみの令』と呼ばれることになる一連の法令は、殺生全般を禁ずるものであったが、特に犬を手篤く保護するよう命じた」

〇江戸・下町
無人の町並みをうろうろする多数の野良犬。
N「野良犬を殺すことはもちろん、追い払うことも禁じられ、江戸の町は野良犬が支配するようになった」

〇中野・御犬小屋
広い敷地に、多数の犬たちがうろうろしている。エサをやったり、フンを始末したりしている多数の役人。
N「幕府は中野などに御犬小屋を設け、野良犬を収容して問題解決を図る」

〇江戸城の一室
小姓が綱吉(中年)の元にうやうやしく桐の箱を持ってくる。
小姓「水戸の光圀さま(徳川光圀、水戸黄門)からの贈り物にございます」
綱吉「ほう、水戸からか……開けてみせよ」
小姓、箱を開けてあっとする。
綱吉「いかがいたした」
小姓「こ、これは……」
綱吉、のぞきこんであっと驚き、ついで激怒する。
綱吉「……光圀め!」
箱の中身は犬の毛皮である。
綱吉「仁の心を民人に行き渡らせんとする、余の真情をなぜ誰も理解せぬ!」
N「『生類憐れみの令』には、捨て子・間引き(赤子の殺害)・姥捨ての禁止など、人道的な条項も多かったが、行き過ぎた犬の保護は、多くの人びとの反感を買った」

〇江戸城・松の廊下
※全員烏帽子・裃姿の正装
浅野長矩(赤穂藩主、三十五歳)が吉良義央(高家、六十一歳)に短刀で斬りつける。背中と額を切られ、血を吹き出して倒れる義央。
長矩「(興奮しながら)この間の遺恨、覚えたか!」
さらに斬りつけようとする長矩を、梶川頼照(旗本、五十五歳)が取り押さえる。
頼照「殿中でござる!」
N「元禄十四(一七〇一)年三月十四日、勅使を饗応するために江戸城に登城した浅野長矩は、吉良義央に殿中で斬りつけ、取り押さえられた」

〇江戸城の一室
激怒している綱吉(五十九歳)。
綱吉「勅使饗応の日に刃傷沙汰とは何事だ! ただちに浅野を切腹させよ! 赤穂藩は取り潰しじゃ!」
吉保(四十三歳)と成貞(六十七歳)が必死でなだめる。
吉保「赤穂藩取り潰しとなれば一大事です! まずは慎重な吟味を……」
成貞「喧嘩両成敗のお定めもございます」
綱吉「吉良は刀も抜かず、手向かいもしなかったというではないか! ならば喧嘩ではない! 大事な儀式の日に、殿中を血で汚した浅野を許すわけにはいかぬ!」
正論なので言い返せない二人。
N「長矩はその日のうちに切腹した。義央の傷は幸い浅かった」

〇赤穂城・広間
大石良雄(赤穂藩家老・四十九歳)が、赤穂藩士らを前にしている。
良雄「……城を幕府に明け渡す」
藩士「公儀の裁きは喧嘩両成敗のお定めに反しております!」
良雄「今、大学(長矩の弟)さまが浅野家を継ぐことを認めていただく願いを出しておる。今、公儀の意向に反するわけにはいかぬ」
藩士「しかし……!」
良雄「……だがもし、浅野家がお取り潰しになるのなら……その時は殿のご無念、皆ではらそうぞ」
おお!と盛り上がる藩士たち。

〇吉良邸(雪、夜)
雪の吉良邸に討ち入る、完全武装の良雄(五十一歳)ら赤穂浪士たち。火事装束の下に鎖帷子、頭は鉢金や兜など思い思い。得物も刀や槍、槌などさまざま。
N「元禄十五(一七〇三)年十二月十四日、大石良雄ら四十七人の赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、義央を討ち取った」

〇江戸城の一室
報告を受けて喜ぶ綱吉(六十一歳)。
綱吉「よくぞ成し遂げた! 彼らはまことの武士である!」
吉保(四十五歳)と成貞(六十九歳)、困った顔で
吉保「しかし彼らは、公儀のご政道に異を唱えたことになりますが……」
ぐっと詰まる綱吉。
N「結局、幕府は赤穂の浪士たちに切腹を命じた。『公儀のご政道に異を唱えた』として斬首するのでも、『亡君の無念を見事晴らした』と賞賛するのでもない、中間に落ち着いたのである」

〇江戸城の一室
徳川家宣(四十八歳)と新井白石(家宣の侍講・五十三歳)が会話している。
N「宝永六(一七〇九)年、綱吉が男子がないまま亡くなると、家光の孫にあたる徳川家宣が六代将軍となる」
白石「先代の遺した悪法、ただちに撤廃せねばなりませぬ」
家宣「しかし、綱吉さまは『余の法は末代まで守り抜け』と……」
白石「民を苦しめる悪法です!」
N「家宣はすぐに『生類憐れみの令』を廃止、武家からも町民からも歓迎された。家綱・白石・間部詮房(側用人)らの『正徳の治』は、実質的には綱吉の跡を受けた文治政策の推進であったが」

〇江戸城の一室
文書を書いている白石。
N「白石は綱吉の政治を、著作の中で徹底的に批判した。結果として後世には、綱吉の悪評だけが残ることとなった」

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