第二十夜 陰陽師・安倍晴明 前編
日本史上、最高の陰陽師といわれる安倍晴明には、さまざまな伝説がある。
曰く、『葛の葉』という狐を母として産まれた。
曰く、一条戻橋の下に式神を飼い、自由に使役した。
曰く、「人を呪い殺せるか」と問われ、手も触れずにカエルを殺してみせた。
しかし、これらのほとんどは伝説・俗説である。史実の安倍晴明は、四十才で天文得業生、五十才でようやく、天文博士に任じられるという、出世の遅い人物であった。
とはいえ、天文博士となった後の晴明の活躍は目覚ましく、花山天皇から篤い信頼を受けた。安倍家は、それまで陰陽寮を独占していた賀茂家と並ぶ、陰陽道の家となる。
もちろん、フィクションである当作品においては、安倍晴明は、伝説・俗説で描かれてきたような超人として登場する。
「あなたは、男でも女でもありませんね」
中将の君が別の部屋に下がると、晴明さまは拾に向かって言い放った。
私も、心の臓が口から飛び出しそうだったが、拾の驚きはそれどころではなかったであろう。
慌ててじたばたする拾に向かって、晴明さまは、人差し指を立てて唇に当て、片目をつぶってみせた。
「ご心配なく。誰にも話すつもりはありません」
私と拾が、息を揃えてほっとしたのを見て、晴明さまはにっこりと微笑んだ。
「さて、私も、道長さまには、ひとかたならぬご恩を受けている身です」
ぎくり。
「ですが、今回の件は、さすがに目に余ります。お灸を据える必要があるでしょう」
ほっとした。しかし、一体、どうやって、道長さまほどの権力者に、お灸を据えようというのだろう。
「遠い昔に、天竺の向こうにある、『ばびろにあ』という国を治めていた、はんむらびという王様は、こう、法で定めたと言います。『目には目を、歯には歯を』」
その国では、復讐が合法とされていたのだろうか。
「この法は、復讐を認めると同時に、行き過ぎた報復を戒める法でもありました。目を失ったなら、相手の目を奪ってもよいが、命を奪ってはならないと」
なるほど。
「我々も、それで行きたいと考えています」
具体的に、どうしようというのだろう。私と拾は、晴明さまの次の言葉に、耳を澄ませた。