第九夜 御帳台 後編

 御帳台とは、屋根のある、日本式の寝台である。屋根は障子で、床は畳、三方に几帳、正面に御簾が垂らしてある。
 以前の回でも書いたが、高貴の女性が、この御簾を上げて男性に顔を見せることは、すなわち関係を許すことであった。


 中将の君は、御簾の前に置かれた円座(わろうざ)に、静かに腰をおろした。そして、一言も言わず、御簾を--御簾の向こうの私を見ていた。
 私からは、辛うじて中将の君が見えるが、中将の君から、私は見えない。私は、御簾越しといえど、視線を合わせないようにして、中将の君を見た。
 細面の、いい男であった。これなら、寄ってくる女には事欠くまい。そんな彼がどうして、私などを見初めたのだろうか。
 私が、疑問を解こうと、質問を口にするより一瞬早く、彼が口を開いた。
「今宵は、よい月ですね」
 御帳台の中の私からは見えないが、昼間は雲一つなく晴れ渡っていたから、きっときれいな満月が輝いているのだろう。
 拾との初めての夜は、嵐の夜だった。
(いけない、比べては)
 拾と、中将の君とでは、身分も、教養も、何もかもが違う。そして、今の私は、中将の君の庇護を受ける身--常識的に考えて、中将の君を拒むことは許されない。
「ずっと、お会いしとうございました。京で評判の、蔦葛どのに」
「どのような評判でございますか」
 私は、ようやっと口を開いた。
 中将の君は、答える代わりに、扇で口を覆って、微笑んでみせた。やはり、口にするのは、はばかられるような評判なのだろう。何しろ、召人と通じ(たことは知れ渡ってはいないようだが)、夫を叩き出した女だ。
「私は、並の女には興味がなくてね」
「私など、並の女にございます」
「並の女は、夫を叩き出しはしないよ」
 私の顔が、かっと赤くなったのを、御簾のおかげで見られずに済んだのは、幸いだった。
「情のこわい(気の強い)女が、お好みですか」
 私の精一杯の虚勢を見透かしたように、彼は言った。
「どう情がこわいのか、教えていただきたいな」
 恥ずかしさのあまり、死んでしまいたい気持ちだった。
 私は、これ以上、虚勢を張る代わりに、御簾を上げようとした。
 と、中将の君は、さりげなく手を伸ばして、御簾の裾を押さえた。
「まだ早い」
 意外な言葉に、私はとまどった。

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