最終夜 前編
平安時代の人々の寿命は、驚くほど短い。
疫病や天災が多かったこともあるが、何よりも、「ケガレ」思想と、仏教の「不殺生」思想が合わさり、食に関するタブーが、あまりにも多かったことに起因する。平安時代の人々は、栄養失調により、三十才になるかならないかで、ばたばたと死んでいったのである。
タブーにがんじがらめになっていた貴族よりも、肉や魚を食べていた武士や庶民の方が、まだしも長生きしたようである。
最後に拾と交わったのは、いつのことだっただろうか。
白拍子となってから、仲間うちでも、旅先でも、男女問わず、大勢と交わった。
それを、淫蕩なことだと非難する人もいるかもしれない。だが、白拍子の一員となって生きてみて、私は思った。
人は、そもそも淫蕩なのだ。もちろん、女だけが罪深いわけでもなく、男も同じだ。
私たちはただ、その人の本性に、率直に従って生きているだけなのだ。
だからこうして、病に倒れたことも、何かの罰だとは思わない。高僧であろうが、帝であろうが、病には倒れ、そしていつかは死ぬのだ。仏陀ですら、涅槃に入られたではないか。
「奥方さま、お加減はいかがですか」
拾は、何度言っても、『奥方さま』と呼ぶのをやめようとはしなかった。
「奥方さまは奥方さまです」
そう言われてしまえば、無理にあらためさせる理由もない。面倒くさくなって、そのままにしてある。
「汗をお拭きいたします」
私が病に倒れてからというもの、拾はかいがいしく看病をしてくれた。お返しにしてあげられることとてないが、
「奥方さまにお仕えすることが、我の喜びでございます」
と、返されるのがオチだろう。
せめて
「ありがとう」
と伝えようと思ったが、どうしても声が出なかった。
私は、その代わりに、手を伸ばした。
「奥方さま……?」
拾が驚きの声をあげる。私が、拾の手ではなく、まらを握ったからだ。
こんな時でも、体は正直だ。拾のまらが、私の手の中で、むくむくとその大きさを増していく。
それを感じると、私の体の奥も、微かに潤む。
(最後に手にするものが、これでよかった)
それが私の、最後の心のつぶやきであった。