第十夜 心づくしの秋 前編
木の間より もりくる月の かげ見れば 心づくしの 秋は来にけり
詠み人知らずのこの歌は、月の美しさを歌った、最も早い時期の歌の一つである。「心づくし」とは、心を使い果たすこと、物思いに心魂を尽きさせることを意味する。
日本人にとって秋は、古来より物思いにふける季節だったのである。
「まだ早い」
そう言って、中将の君が御簾の裾を押さえたことに、私は驚きを隠せなかった。
ここまで私に援助をしておきながら、いざ、という時に、逆に焦らしてきたのだ。これでは、駆け引きと言っても、男女が逆ではないか。
「私はね、ただ、あなたの肉体が欲しいという訳ではないのですよ」
「どういう意味でございますか」
「あなたとなら、本当の『恋』ができるのではないか、私はそう期待しているのですよ」
「本当の『恋』?」
「あなたは『源氏物語』をご存じですか?」
『源氏物語』なら、全巻通してではないが、読んだことがある。帝の皇子であらせられる、光源氏の君が、義母である藤壷や、自ら育てた紫の上をはじめとする、多くの女性たちと恋をする物語だ。作者の紫式部は、この物語によって、藤原道長さまに召し出され、今は中宮彰子さまにお仕えしていると聞く。
「私はね、光源氏のように、恋をしてみたいのですよ」
「光源氏のように、ですか?」
「嫌味な言い方になるが、私は女に不自由したことはない。私が声をかければ、なびかぬ女などいなかった」
「そうでございましょうね」
「だから逆に、私は恋を知らないのだよ。その私が、あなたの噂を聞いた時、はじめて心がときめいた。世の中には、このような女もいるものだと」
どきり、とした。噂はどこまで伝わっているのだろう。ひょっとして、中将の君は、私と拾とのことまで、ご存じなのではないだろうか。
「そんなあなたが、簡単になびく女であって欲しくない。これは私の、わがままだろうか」
どう答えていいものか、とまどいながら、私は、中将の君を見つめた。