第二十四夜 一条戻橋 後編

 橋占(はしうら)とは、橋のたもとで行う、辻占(つじうら)の一種である。
 辻占とは、夕方に辻(交差点)に立って、通りすがりの人の会話に耳を傾け、そこから吉凶を読み解く占いである。会話でなく、通る人々の服装や持ち物から占う方法もある。
『源平盛衰記』には、安徳天皇の出産の時に、一条戻橋で橋占がおこなわれたとある。その時は、十二人の童子が一条戻橋を通り、皇子(のちの安徳天皇)の将来を予言する歌を歌ったという。また、その十二人の童子は、安倍晴明が式神として召し使っていた、十二神将の化身であったともいう。


 一条戻橋のあたりは、近頃だいぶ寂れてきた。
 ここは橋占の名所でもあるが、疫病が蔓延る中、橋占をしようとする物好きもいないのだろう。
 橋のたもとには、浮浪児たちがたむろしていた。
 もともと拾も、こういった子供たちの一人だったのだ。
 子供たちがわらわらと、物珍しげに私に近づき、取り囲んだ。袖を引き、裾にまとわりつく。
 身の危険を感じた時には、すでに遅かった。引き倒され、押し倒された私に、子供たちが群がる。一言も発しないのが、かえって不気味だった。
 子供たちの手が、着物をはだけさせて、乱暴に乳をつかむ。脚をつかんで、無理やり割って入ろうとする。
「やめろ!」
 聞き慣れた、心強い声がした。子供たちが、ぱっと私から離れる。
 慌てて着物の前を合わせた私の前に、拾が立っていた。
「奥方さま……」
 もちろん、拾は侍女姿ではなく、浮浪児たちと同じ、ぼろ姿だった。でも、間違いなく拾だ。
「拾……」
「奥方さまは、中将の君とお幸せになるべきです。私とでは、どうにもなりません」
 そんなことはわかっている。わかっている。でも……。
 その時、私は突然の吐き気に襲われた。うつむいて戻す私に、拾が駆け寄る。
「奥方さま、まさか……」
「そうよ」
 そう、だから私はここまで来たのだ。
「お前と私の子です」
 拾の顔が凍り付き、息を呑むのが伝わってきた。

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