「見て真似する」というチート能力について~ハッタツ民の方舟31

録音

「なぜ我々はできないのか」と考えると辛くなるので「なぜ(定型の)みんな(一般的な方々)はできるのか」と考えましょう

辛いけどたぶん受け入れなくてはいけない真実
「普通、人生を10年か20年やったら社会性が身につく。身につかないのはハッタツだか何だか知らないが障害者だ」

社会性はどうやって身につく?
「普通にやってれば身につく」
「普通にやってれば」の正体=「見て真似する能力」?

村中先生曰く
「ASDの人は意識より原始的なレベルで人間を特別扱いしていない」
みんなは意識より原始的なレベルで人間を特別扱いしている

ボトムアップで情報処理するASDと、トップダウンで情報処理するみんなの違い→トップダウンで情報処理するってどういうこと?
ベイズ推定で処理している?
※少ない情報から効率的に推定する方法。我々は全ての情報が揃ってからでないと判断/行動できない(し辛い)のでは?

模倣ができない
模倣しようという動機付けが弱い?→人間を特別扱いしていないから?
模倣をする能力自体がDCDなどで低い
情動もまた模倣で発達するので、情動の発達も遅れる

ASDはミラーニューロンの働きが不全?

「統制的処理」(意識して体を動かす)から「自動的処理」(体が勝手に動く)への移行がうまく行かない?

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjbt/27/2/27_KJ00008937884/_pdf/-char/ja

「察する」と呼ぶとエスパー能力じみているが、実際のところは「かつて似たような状況に遭遇したから、最適な振る舞いがわかる」なのだと思われる→やはり「見て真似をする」能力である
パターン認識が関わっている?→WAISで言うところの知覚推理
※「似たような状況」もハッタツにはわかりにくい
ハッタツは過去を参照するのに食われるリソースが多すぎる?

状況が複雑になってくると出来事の重みづけができない
→簡単なことでも覚えられない
→知覚推理の問題?
→脳のリソースが他のこと(過去とか)に食われてるから知覚推理がうまく働かない?

「(できてないけど)一見できてるように見える」のもみんなは得意
→どう動けば「できてる風に見える」かがわかるかどうか
→ハッタツは全部わからないと動けない

一般的な方々も言うほどできてはいない
→コミュニケーションでフォローしている?
→リカバリーが下手?

「できていない」ということに気づいていなくても、そのことに違和感や劣等感を感じていない?

「やってるふり」をする
コミュニケーションでリカバリする
メンバーの順位を把握する

「何をしているか」ではなく「誰がしているか」で把握する
関係性を把握して、従うべき人の意を汲む

「見て真似をする」ためには「自分を殺す」必要がある?

結局「他を認識」できるかどうか

血のにじむような思いで真似をしている人たちがハッタツに憎しみを抱く?

結局「見て真似する」てどういうこと?

モデルケースを見つけて「見て真似する」練習をたくさんする(モデルも一人ではなくたくさん)

オートマチックでできるってどういうこと?
ASDはベイズ推定が苦手?
失敗体験が「とりあえずの判断」をすることを躊躇させる?
リカバリーが許される環境かどうかも大きい

納得が行かないと行動(真似)できないハッタツと、興味も納得もなくても、とりあえずやって(真似して)みることができる一般的な方々→長い年月の間に、絶望的な経験量の差が生まれる

元々経験を積みにくい特性があるのに、失敗体験によって経験を積むことが阻害されるので、社会性を身につけるのが困難である

「見て真似する能力」とは「視覚で見えないもの(記憶とか関係性とか感情とか)」を見て真似する能力のことのようである
1.人間を他の生物/物とは違う存在として特別視する
2.トップダウンとパターン認識で全体を処理する
3.ベイズ推定でとりあえず判断する
ことで、見えないものを見ているようである

とりあえずの判断で、失敗しても「別のやり方を試せばいいや」で正のフィードバックが働き、多くの経験を積んで判断が正確になっていく→社会性が身につく定型

ただでさえ経験率が低いのに、途方もない失敗をやらかして叱責されるので、「情報が揃うまで判断しないようにしよう」として経験を積む機会を失うASD(加えて経験を自分のものにする能力も低い)

番外編
社会性と意思は別物
十分な社会性があれば意思は不要?(場合によっては邪魔?)
社会性がなくて意思(こだわり、衝動)のあるハッタツは反逆児ミュウ?(竹宮恵子「地球へ…」)

付録:ベイズ推定について


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