第二十二夜 中に出されたい…… 前編
平安時代には基本的に、避妊という概念は存在しない。
まず、医学的な技術として、避妊どころか、堕胎の技術があったかどうかさえ不確かである。仮に避妊をしたいと思えば、膣外射精か、呪術に頼るしかなかった。オギノ式もまだ発見されていないので、「危険日」「安全日」の概念もなかったであろう。
そもそも、母系社会の名残が残る平安時代において、
「妊娠して困る」
こと自体、あまり起こらない。乳幼児死亡率が高いので、産めよ増やせよ、の時代であったし、正式な婚姻関係にない相手の子供を妊娠したとしても、バレることも少なく、バレたとしても自分の子であることに違いはないので、普通に産んで育てることに、大したタブーはなかった。
それでも、明らかに妊娠してはまずいケースが、存在しなかったわけではない。「源氏物語」藤壷中宮のように、天皇の正室や側室が、天皇以外の子を妊娠したとあれば大スキャンダルであるし、それほどでなくとも、身分のある女性が、奴婢や使用人の子を妊娠すれば、スキャンダルとなった。ちなみに身分のある男性が、奴婢や侍女を妊娠させても、問題にはならない。
蔦葛の方と拾の関係は、当時としても、十分にスキャンダラスなものだったのである。
最近、拾が中に出してくれない。
決して二人の関係から、情熱が失われたわけではない。だが、時間が経過したことで、拾も冷静になったのであろう。
ましてや私は、関係を持たぬ夫を持つ身だ。妊娠すれば、中宮の君以外の相手がいることが、すぐにバレてしまう。そしてそこから、侍女に身を偽る、拾の存在が明らかになるのは、時間の問題であろう。
だから、拾が外に出すようになったのは、私の立場をおもんばかってのことであり、私たちの関係を続けるための配慮だ。
それはよくわかっている。
よくわかっているのだが、関係をはじめたばかりの頃のように、情熱の赴くままに、中に出してもらいたいという気持ちもある。
拾が外に出すたびに、私は複雑な気持ちになるのだ。