裸の目(3/7週)
先週は祖母は亡くなるというビッグイベントから幕を開けるというなかなかハードな一週間だった。
祖父が亡くなって11年。あの時は「おじいちゃんありがとう」と心の中で繰り返すことが多かったけれど、今回は「ただ甘えたい」という気持ちが強い。死んだら皆同じ、というわけではないようだ。
祖母の遺体は、孫たちの写真と共に荼毘に付した。わたしは初孫だったので孫の中でも必然的に写真が多く、そのたくさんの写真は祖母のもう動かない足を布団のように包んだ。自分の写真に囲まれながら棺の蓋をされる祖母の姿が脳裏に焼きついてしまい、その姿を思い出して何日間かシクシク泣いた。
最近おばあちゃんを亡くした人の気持ちに共感したくてtwitterで「祖母 亡くなった」と検索してみるも、皆最近はあまりおばあちゃんに会っていなかったというつぶやきが多く、深い絶望の崖で打ちひしがれている人は少ないようだった。本当に絶望している人はツイートもしないのだろうけど。わたしも一人暮らしを始めてからは、祖母に会うのは1年に5回あればいい方だった。もっと会っておけばよかった。そんなことを思い出しながら街を歩けば高齢の女性が歩いていて、彼女たちも誰かのおばあちゃんなのかもしれないと思うと胸がキュッとする。孫たちよ、いますぐ会いに行きなさい。
3/11、東日本大震災が起きて10年経った。祖母を見送った次の日、改めて誰かの死と向き合った。当時は19歳で2浪が決まった春で、友人2人とお茶をしていた時に地震に見舞われた。友人のうちの1人が被災地とゆかりのある人物で、なんとか帰宅した我が家のテレビをただ呆然と眺めていた横顔がいまだに忘れられない。でも自分はあの頃学生でも社会人でもない中途半端な身分で、日々を生きるのに精一杯で誰かの為に何かをしようとなんて到底思えなくて目を背けていたらいつしかタイミングを失ってしまっていた。今考えると未熟な理由だった。誰かに喜ばれることが何よりの幸せだと知った今、あんなことが起きたら土運びでもなんでもさせてくれと思うだろう。もう起きないで欲しいけど。
こんな一週間だったこともあり、実はそれまで向けてきた新規事業計画への興味がぴたっと停止してしまった。それよりもどうしたらもっと後悔しないだろうとか、どうしたらもっと豊かに人生を送れるだろうというぼんやりしたことばかり考えてしまって体がなかなか動かないのだ。こんな思いも何かの起爆剤に変わればいいのだけど、まだ具体化できないでいる。悲しい思い出に反射して未来は眩しく輝き、まだよく実態は見えない。色のついた眼鏡で容易に見るのではなく、自分の裸の目を細めながら見つめていくしか方法はなさそうだ。