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借金のある29歳青年は、ある日、ふと小説を書いてみた。

1978年、青年は二十九歳の誕生日を迎えた。大学の卒業には七年もかかって、就職もせず、(店を開いたときの)借金を返すために働き詰めの日々を送っていた。青年時代とよべる時期がもう終わろうとしていることが彼には不思議に思えた。

「そうか、人生ってこんな風にするすると過ぎていくんだな」

四月のよく晴れた日の午後、青年は近くの球場に野球を見に行った。試合はリーグの開幕戦。先頭打者が第一球をレフトに弾き返すと、ボールがバットに当たる気持ちのいい音が響き渡った。英語にepiphany(エピファニー)という言葉があるが、突然なにかが目の前に現れて物事の様相が一変してしまうという意味だ。それがまさに、その日の午後に彼の身に起こったことだった。

そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない。

帰りに原稿用紙と万年筆を買って、台所のテーブルに向かって小説を書いてみた。本を読むことは好きだったが、一度も書くことを試したことはなかった。何ヶ月かかけてそれらしいものを作り上げ、いざ読み返してみると、心に訴えかけてくるものはそこになかった。

青年は落ち込んだ。「僕には小説を書く才能なんかないんだ」

しかしそのままあきらめなかったのは、あのエピファニーの感覚がくっきりと残っていたからだった。「どうせうまい小説なんて書けないんだ。頭に浮かんだことを好きに自由に書いてみればいい」普通じゃないことをやってみようと、小説の出だしを外国語で書いてみることにした。限られた数の単語をシンプルに使うしかなく、苦労しながら書き進めるうちに、文章には独自のリズムが生まれていった。再び外国語で書かれたものを翻訳し直すと、青年はそこに新しい文章表現の形を発見した。まるで音楽を演奏するように夢中になりながら、新しいスタイルで一から書き直し、出版社に原稿を送った。はじめての小説の完成には半年かかり、何かを書きたいという気持ちはすっかり収まって、彼はまた夜遅くまで働く生活に戻っていった。

一年後、青年は三十歳の誕生日を迎えていた。
「応募された小説が、新人賞の最終選考に残りました」という電話がかかってきたのは春の日曜日の朝だった。青年は寝ぼけていて、電話の相手がいったい何を伝えようとしているのか理解できなかった。彼は原稿を編集部あてに送ったことすらすっかり忘れてしまっていたのだ。あまり実感のないまま、着替えて散歩に出た。歩いていると、茂みの陰に一羽の伝書鳩を見つけた。拾い上げてみると、どうやら翼に怪我をしているようで、青年はいちばん近くの交番まで届けにいった。その間、傷ついた鳩は青年の手の中で温かく、小さく震えていた。よく晴れた、気持ちのいい日曜日で、あたりの木々や、建物や、店のショーウィンドウが春の日差しに明るく、美しく輝いていた。
そのとき彼はハッと思った。「僕は間違いなく新人賞をとるだろう。そしてそのまま小説家になって、ある程度の成功を収めるだろう」、と。

来たるべくして彼は作家としてのデビューを果たし、小説は『風の歌を聴け』というタイトルで出版された。敬愛するアメリカ文学のエッセンスを取り入れ、斬新なスタイルで新境地を切り拓いていった。物語はこう始まる。
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

選考委員を務めた丸谷才一氏は、選評のなかでこう述べている。
この新人の登場は一つの事件です
その後もベストセラーを立て続けに発表し、世界中の読者を虜にする文章と、風変わりで奥深い物語で、小説そのものを別の次元へ押しあげていった。

彼の名は、村上春樹。
今日の文学に新しい風を吹きこんだ、世界的な作家である。半世紀ほど前に彼のもとに訪れたエピファニーは、今もなお、彼に小説を書く意味を思い起こさせる。

僕は小説を書くチャンスを与えられたんだ

もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを注意深く見回してください。世界はつまらなさそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎めいた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人々のことです。あなたは正しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重な原石をどれでも選び放題、採り放題なのです。こんな素晴らしい職業って、他にちょっとないと思いませんか?

(村上春樹 『職業としての小説家』)


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