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松ぼっくりの”ぼっくり”について

注意)今日の記事には、チョッだけ下ネタがらみの話題が含まれています。このジャンルがお嫌いな方は、ご遠慮ください。

窓から外を眺めていたら、松の木に大きな”松ぼっくり”が生っているのを見つけました。その時ふと、「”ぼっくり”って何だ?」という疑問がわきました。

松ぼっくりは、松傘/松笠/松毬(全てマツカサと読みます)とも呼ばれる松の果実のようなもの(正確には毬果/球果)のことです。松ぼっくり、または松ぼくりは、何と『松陰嚢まつふぐり』が転訛てんかした語なのだそうです。フグリというのは、陰嚢という字からもわかるようにタマキンのことです。フグリは”殖栗”という漢字でも書かれますが、字面からも何となく意味は分かります。

江戸初期にまとめられた咄本はなしぼんである醒睡笑せいすいしょうの第5巻(安楽庵策伝著、全8巻)には、次のような短歌(?)が載せられています。「橋立の松のふぐりも入り海の 波もてぬらす文殊しりかな」。この歌を普通に訳せば、「天橋立あまのはしだてにある松の木から落ちた松ぼっくりが、打ち寄せる波によって濡れている情景」と解釈できますが、そんな普通の歌を咄本に書くはずがありません。

私の勝手な解釈ですが、この歌は”男女の交合”のことを詠んだ歌だと思われます。そう解釈すると、”松のふぐり”の意味が自ずと変わってきます。”文殊しり”は文殊師利もんじゅしりで、文殊の正式名称ですが、”しり”と敢えて平仮名で書いているあたりが、”ふぐり”との対比になっています。深読みし過ぎでしょうか・・・?。

この歌には、和泉式部による次のような元歌があります。「橋立の松の下なる磯清水 都なりせば君も汲ままし」。この歌は、『磯清水』という不思議な井戸のことを詠っています。この井戸は、四面を海で囲まれているのに、海水ではなく淡水が出ることから、不思議な名水として知られていました。

この磯清水の近くには、知恵の神様として知られる文殊菩薩と関係がある智恩寺というお寺があります。また天橋立には、一本の松が三又に分かれていることから、「三人寄れば文殊の智恵」という諺にちなんだ『智恵の松』という松があります。先程のエロイ歌(?)も、このような和歌の背景を知らなければ作れません。作者は相当に教養のある人だったのでしょう。

松ぼっくりが松フグリだったことを知って、昔の人のネーミングセンスには疑問を持ちますが、似たような例は他にもあります。イヌフグリ(犬殖栗)またはイヌノフグリという植物を知っていますか?。この植物は、薄いピンク色の花が咲く可憐な植物ですが、その実の形状がタマキンに似ているため、このような下品な名前が付けられました。そろそろ、改名しても良い時なのでは?。

オオイヌノフグリの果実



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