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日本のサブカルチャーの歴史

サブカルチャーは”サブカル”とも呼ばれる、メインカルチャーと対比される概念です。一般的には、主流文化に対し、一部の集団を担い手とする文化を指す用語で、副次文化ないし下位文化と訳されています。この言葉は、1950年ごろから使われているようですが、日本ではアニメやコスプレなどに対してよく使われています。

サブカルは下位文化などと訳されるように、メインカルチャーより下と認識されることが多いようです。しかし、個人的には全然そうは思いません。日本は大昔から、サブカル大国で、むしろサブカルがメインを上回る場合だってありました。

日本は昔から識字率が高く、江戸時代の日本の識字率は、西洋の国々と比べて非常に高かったことがわかります。その当時のイギリス・フランスでは識字率が3割もありませんでしたが、日本では6割以上もあり、地域によっては7割から8割にも達したと考えられています。日本では、昔から日常生活に必要な読み書きができる人が多かったのです。

江戸時代の中頃、戦乱のなくなった世の中では、市民の文化が花開きます。人物画や風景画などの浮世絵が流行りましたし、様々な本も出版されています。本は字が読めないと理解できませんから、当時の人達の識字率の高さの証拠にもなります。現在、黄表紙と呼ばれている本は、挿画のある読み物で、いまのマンガ(絵本?)の原型のようなモノです。文字ナシのマンガならもっと古く、鳥獣人物戯画まで歴史をさかのぼることができます。

西洋の文化はキリスト教文化が色濃く反映されています。昔の絵画や彫像は宗教色の強いものばかりです。しかし、文字を使った文化は殆どありません。それは、多くの人が文字を読めなかったからです。極端な話、キリスト教の根幹である聖書ですら庶民は読めませんでした。それは聖書がある程度の知識階級でないと理解できないラテン語で書かれていたからです。そのため、神父さんが聖書の教えを”神に代わって”信者に伝えました。

どちらの文化が良いかという話をしている訳ではありません。それぞれの国には、それぞれの誇れる文化があります。江戸時代には、侍のメインカルチャーに加えて、庶民のサブカルチャーが存在していました。そういった事実から、日本は大昔からサブカル大国なのです。

これは個人的な見解ですが、土偶は文字を持たなかった時代のサブカルではないかと考えています。そうなると、日本のサブカルは縄文時代まで遡れることになります。そうなると、現在のサブカル魂は、数千年前から連綿と受け継がれたことになります。

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