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邪馬台国はどこ?#5 邪馬台国・四国説

 一連の記事では、邪馬台国論争のメインディシュである九州説と畿内説はひとまず棚上げして、マイナーな説ばかりを紹介しています。今回は四国説で、1970年代後半より注目され始めた新しい説だそうです。

 邪馬台国までの道順(これが曲者ですが)を表している魏志倭人伝では、「南至投馬国水行二十日」を経て「南至邪馬台国水行十日」となっていますが、邪馬台国四国説の解釈では、まず大陸から渡り着いたとされる九州北部から水路で豊後水道を南下し、高知県西部から四国へ上陸、その後は畿内説と同じく南を東と読みかえて(?)、陸路で徳島県に辿り着くとの見解が示されています。

 邪馬台国・四国説は、郷土史家の郡昇さんが自費出版の著書で語ったのが最初と言われています。その後、古代阿波研究会なども四国説を主張し、多田至・板東一男・椎野英二・上田順啓さんらが編集委員として名を連ねた『邪馬壱国は阿波だった 魏志倭人伝と古事記との一致』や、日本テレビのプロデューサーの山中康男さんが出版した『高天原は阿波だった』(講談社)などの本があります。

 また徳島以外でも、1980年代にNHK高知放送局が制作した「古神・巨石群の謎」の中で邪馬台国=土佐(四国山頂)説を主張した土佐文雄さんが、『古神・巨石群の謎』(リヨン社)を出版しています。その他にも、浜田秀雄さん、大杉博さん、林博章さんなどが邪馬台国・四国説を主張する著書を出版しています。

 古事記の国生み神話では、日本で一番最初にできた島は淡路島ですし、次にできたのは四国なので、邪馬台国・四国説は神話に基づいた説と言えます。また大和朝廷は、徳島(四国地方)から始まって、奈良へ移行されたとされる四国説&近畿説もあります。

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