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"正論"ほど厄介なものは無い?

最初にお断りしますが、タイトル画は単なるイメージ画像で、他意はありません。言い訳がましいのですが・・・。

正論ほど厄介なものはありません。正論とは、「道理にかなった正しい意見や議論」のことで、人として正しい意見や、筋が通った意見というような意味で使われます。ただし、”正論”が事実に関する議論や認識論について用いられることはあまりなく、ほとんどの場合が「***であるべきだ」という論調で使われます。

正論と関連する言葉に、「極論」と「暴論」と言うのがあります。極論と暴論んは一見同じ意味のように感じますが、極論とは論理的に正しく、暴論とは論理的に正しくないという違いがあります。要するに、暴論は全くの出鱈目な理論ですが、極論は”極端な主張”ですが論理的には筋が通っています。

意見は人それぞれで、暴論でなければ多様な意見があってかまわないと思います。ただし、それは”自分の主張/考え”であるので、他人に押し付けて欲しくはないのです。最近は、極論を他人に強要しようとするグループがいます。例えば”過激なヴィーガン”は、肉食を嫌悪し、肉食をしている人に肉食中止を強要します。

多くの生物は、従属栄養生物ですから、外の食物から栄養を補給します。動物虐待そのなかでも我々人類は雑食ですから、肉や植物からバランスの良い栄養を取ることが重要です。しかし、過激なビーガンの人達は「動物虐待だ。動物たちが可哀そうだとは思わないのか?」などと肉食を非難します。

私は科学的なエビデンスを持っていませんが、植物食だけからでは必要な栄養が充分に取れないのではないかと危惧しています。海外の有名人(セレブ?)の間では一時期、ヴィーガンが流行りましたが、最近ではヴィーガンをやめる人が増えつつあるようです。私の目には、ヴィーガンの主張は暴論寄りの極論のように映ります。

数日前に、イギリスの過激な環境活動家らによるデモ行進の映像を見ました。彼らは地球温暖化を食い止めるために”化石燃料使用の即時停止”を主張しています。このデモは許可されたもののようですが、道いっぱいに広がったデモは交通の妨げになっていました。

この時、初老の男性がひとり、デモ行進に大声で「デモをやめろ!」と持論を展開します。「君たちが着ている衣服の多くは、石油から出来ていることを知っているか?」。彼は更に続けます。「君たちはこの場所まで、電車や車で来ただろう。それにも、石油(で作られた電気やガソリン)が使われているんだぞ」。「そんなに石油を使うのが嫌なら、全ての衣服を脱いで森に引きこもれば良い!」。その映像では、デモ隊は男性に反論できずにいました。

重ねて言いますが、言論は自由ですし、様々な考えがあっても良いのです。ただし、「***であるべきだ」という持論の強要は止めて欲しいのです。もちろん、話し合いで相手が納得する理由を提示し、同意してもらうのなら問題ありません。論破などは以ての外です。

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