見出し画像

邪馬台国はどこ? #1 邪馬台国・埃及説

 1910(明治43)、ある奇妙な論文が読売新聞に掲載されました。論文題名は『東西両大学及び修史局の考証を駁す─倭女王卑弥呼地理に就いて』でした。著者は、当時、詩人バイロンの紹介や『プラトン全集』の翻訳などで知られていた、哲学者・翻訳家の木村鷹太郎です。しかし、その論文内容は、邪馬台国研究史上、最も奇妙な学説”邪馬台国=埃及(エジプト)説”でした。

 現在でも、邪馬台国論争の決着はついていませんが、主なものとしては、京都帝国大学の内藤虎次郎(内藤湖南)教授が『卑弥呼考』のなかで提唱した畿内説と、東京帝国大学の白鳥庫吉教授が『倭女王卑弥呼考』のなかで提唱した北九州説の二つが挙げられます。もちろん、これ以外にも、南九州説、四国説、沖縄説などもあります。

 木村鷹太郎は、現在まで延々と続く、畿内説と北九州説の両説に真っ向から噛みついたのでした。鷹太郎の説では、『魏志倭人伝』は、地中海から東アジアに及ぶ広大な地域を支配していた時代の日本を記録したものなのだそうです。そして、この記録を携えて西方から移民してきた中国人が、東洋で編纂された歴史書の中に、この記録を混入させたのが『魏志倭人伝』だと言うのです。私は邪馬台国は日本列島内の小さな国だと思っていたのですが、本当だったら、なんとも壮大な話です。

 このエジプト説では、帯方郡から邪馬台国までの移動ルートは、イタリア北部から出発し、ギリシャクレタ島を経由してエジプトに至るルートだと考えられています。さすがに、ここまでくると「この人正気かな?」との疑問が湧きますが、鷹太郎は至って真面目に、このように考えていました。

 大学生の時に読んだ本に、高木彬光の『邪馬台国の秘密』を読みました。これは日本では珍しいベッド探偵もので、名探偵・神津恭介が病院のベッドで、資料だけから邪馬台国の位置を推理します。私が読んだときは角川文庫でしたが、いまは光文社文庫から出版されているようです。邪馬台国に興味がある人にお勧めの1冊です。ただし小説ですので、エンタメとして読んで下さい。

 考古学の先生と話す機会がありました。その時に、恐る恐る邪馬台国の事を聞いてみたら、考古学関係の学会では「邪馬台国は畿内説で決着している」と身も蓋もない回答でした。もう少し、浪漫が欲しいなぁ。


いいなと思ったら応援しよう!