考えることを辞める危険性
「人間は考える」
AIが入ってきて、人間は「考える」を辞めてしまう危険性があることは前日に申し上げた。
では、この「考える」をやめる危険性をもっと深掘りしてみようと思う。
AIをツールとして使うのは、よいが、依存してしまう、あるいは「正解」だと勘違いしてしまうことはあまりにも危険である。
なぜなら
「ツールとして使わず、依存する、正解だと勘違いしてしまう」このフレーズってどこかで聞いたことないですか?
そう、「新興宗教」の類がこれになる。
「考えに依存」「正解だと勘違いする」
「自己判断」を失ってしまった洗脳状態なんですね。
洗脳は新興宗教に限りません、
ビジネスの世界においても
子育ての世界においても
村社会においても
「ソーシャル」つまり「社会」が存在する限り、この手の「洗脳者」は現れます。
そして共通しているのが「考えることを辞めた」ということなのです。
AIという全く新しいものでも「考えを辞めて」思考を閉ざしていくという現象が起きてしまう。
では、「考え」の正体とは一体何なのでしょうか?
答えは簡単で「問題解決」です。
「問題解決能力」=「スキル」
となります。
「スキル」≠ 「知っている」
これも合わせて言わざるを得ません。
「思考」をして解決をしていくのが大事です。
AIが思考をするとなるとこんど、「検証」を誰がするのでしょうか?
「思考」して「仮説」ができた場合「検証」が必要になります。
検証ができてやっと問題が解決されます。
AIは予測演算なので「検証」には不向きです。
ということは人が「検証」をせざるを得なくなります。
しかし、「検証」するには、「ロジックスキル」が必要になります。
つまり「思考」です。「思考の跡」がロジックなので、思考がない場合、「ロジック」がありません。
ということは、結局、思考必要じゃんということになるのです。
思考を楽しようと思ってAI使っても結局、検証する時に「思考の痕跡」が必要なので結局「思考」は必要となるのです。
他の「宗教」「ビジネス」「家庭」どこにおいても、「思考」がない限り、答えはありません。
「悩み」がある場合、「答え」を聞きたがるのですが、「思考なき答え」は、陳腐となり、使い物にならないのです。
「マニュアルが人をダメにする」という意見がある通りなのです。
そして、こんなセリフとなる
「そんなのロボットとおなじじゃないか」
このセリフに集約された皮肉がなんともいじらしい。
トイレ掃除(35日目)
反始慎終(29日目)
ブログ(10日目)()
ウォーキング🚶(7日目)
前日コンビニ食を取らなかった(5日目)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?