№226 本を読む人は嫌われる
暗い夜道で思わぬ所から人が現れるとつい声が出ちゃうタマちゃんこと、ビビりまくり、です。noteを書きましょう。
さて今日はそんなビビりなボクですが、
毎日欠かせない読書について
ちょっと逆説的なタイトルから
少しだけ書いてみたいと思います。
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▼本を読むと誰に嫌われる?
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そもそも、読書をする人間って
嫌われるんじゃないかと思うんですよね。
いま読書が廃れてきているいちばんの理由は
それじゃないかと思います。
テレビのせい、
インターネットのせい
とか言われていますが、本当の理由は違うと思うのです。
本を読むってことは、
自己の独自性を築き上げることです。
ようは個性を築き上げること。
でも、自分なりの個性ができ上がると、
自分と意見の違う人のことは、
どうしても受け入れにくくなる。
それがこの似非民主主義の、
人から好かれなきゃいけない文化と、
すごく深いところで抵触するんだと思います。
だから、読書をみんなしなくなった。
でも、嫌われることを受け入れる人生じゃなきゃ、
生命というのは価値がないんだと思います。
個性を築き上げられたら困るから、
時の権力者たちは
民衆に本を読んでほしくない歴史があったのです。
だから昔は、植民地では文字は教えない、
学校教育は受けさせない。
インドネシアなど欧州の植民地だったころは、
本を持っているのが見つかっただけでも
牢屋にたたき込まれていたそうなのです。
本っていうのは元々そういうものなんです。
いまだって簡単に言えば
国家の(というよりその裏の支配者層たちの)言う通りになる、
二等兵をつくるための教育だから同じことです。
本を読んで意見を言う人間は、
はっきり言って邪魔なわけです。悪い意味の平等化ですね。
そういう意味では、読書というのは本来、
苦しいものなんですよね。
いまは娯楽で読んでいる人のほうが多い気がします。
苦しいから生命が燃えるんだと思います。
その苦しみを突破しないと、
自己は確立できないわけです。
誰か言ってたか忘れちゃいましたが、
「人生というのは自分の言葉を持たなきゃいけない」
と言っている人がいました。
自分の言葉っていうのは、
自分独自の考えから出てくる言葉であり、
内臓から絞り出す言葉のことです。
これがすごく大事。
自分の言葉を持って初めて、
自分の人生が確立するわけです。
それを持つために絶対に必要なのが、読書だってことです。
これ、テレビや、ゲームだったら考えないですよね。
だからそれらは楽なんです。
でもそれは、やっぱり奴隷の楽と一緒です。
ようするにミーハー。
ミーハーというのは何も読まない。何も考えない。
自分の快楽と損得だけで生きている。
そういう人たちは、
「奴隷の自由」を享受するのも冷たいようですが
それはそれで、ありなのかも知れません。
でも、せっかく一人ひとりが
個性を持って産まれてきた生命体なんだから、
生まれて、燃焼して、燃えつきて死ぬためには、
やっぱり自分の言葉を持たなきゃだめだと思うのです。
なので、嫌われることを前提としない読書なんて、
読書じゃないということです。
だからボクは、いろんな人に嫌われるために読むのです。
好かれるためなら、読まないほうがいい!!
よく巷にある
「人から嫌われない方法」みたいな、
そういうハウツー本を読んでもだめだと思うのです。
そんなのだったら、まず読まないほうがいいし、
嫌われたくなかったら、
何もしないで「羊」でいることがいちばんです。
ついでに、貧乏だったら絶対大丈夫。
ようするに、他人より程度が低けりゃ嫌われないんです。
読書っていうのは、
人より程度が高くなるためにするわけです。
高くなれば、嫌われるに決まっています。
程度の低い人たちは、
程度の高い人間をひがむ特徴があります。
このひがみ思想も、いまの日本社会の特徴だと思います。
前よりずっとひどくなっている気がしてなりません。
これも悪平等の結果だと思うのです。
たまには辛口な黒タマです。ごめんなさい。
現場からは以上でーす。