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阪神淡路、瀬戸内のサイクリング旅 - 小豆島、「二十四の瞳」

 先行して投稿したブログで述べたように、2022年3月の旅の目的の一つに、大阪圏同様、これまであまり縁がなかった瀬戸内、四国地域の一部をめぐることを構想した。その中心は、日本の映画史上10本の指に入ると思われる(個人的評価は第一位)名作「二十四の瞳」(1954年)の舞台となった小豆島を訪れること。私の個人的評価では、日本の映画史上3本の指に入る映画監督木下恵介が指揮をとり、やはり個人的評価で日本の映画史上3本の指に入る女優高峰秀子が演じた作品と位置付けられる。反戦映画としても高く評価される作品であるが、ヒューマニズムの精神が迸(ほとばし)る作品という評価の方が、私にはしっくりくる。 

*余談になるが、私にとっての日本の映画監督ベスト3は、順不同で、木下恵介、今井正、清水宏であり、日本の映画俳優ベスト3は、男優が、やはり順不同で、森繁久彌、三船敏郎、三國連太郎。女優が、山田五十鈴、高峰秀子、原節子である。

 小豆島へは、高松港からフェリーで渡る。高速船には自転車は乗せられないというので、フェリーに乗船することにしたが、なぜか、15時10分のフェリーは、一般人の乗車ができないというので、1時間後の16時10分発のフェリーに乗船して小豆島へ向かう。これまでは、小豆島というのは、名前の通り瀬戸内海に浮かぶ小さな島という先入観を持っていた。しかし実際は、周囲50kmもあり、中央にはかなり高い山もあって、遠くから眺めても大きな存在感のある島であった。

 ちょうど1時間かかって、17時10分に土庄の港に到着。港のすぐそばにある旅館にチェックイン。昔ながらの旅館で、かつてはずいぶん栄えたのだろうと感じられる雰囲気である。この旅館は、お遍路さんを多く受け入れているようで、この日もお遍路の団体が宿泊していた。ロビーには、大きな弘法大師の像が飾られている。お遍路さんのひとりと話をしてみると、この団体は、現役引退後、趣味で何度もお遍路に来ている人たちのようだった。

 この日は新月だった。潮の満ち引きで、小島までの道が現れたり消えたりする場所、「エンジェルロード」に、暗い中、自転車で行ってみた。フランスのモンサンミッチェルの規模が小さくなった感じだ。旅館のある土庄の港に戻り、港から北の空を眺めると北斗七星が大きく見えた。柄杓の先に北極星が輝き、春の星座、「春の大六角形」も見えている。港の公園には「二十四の瞳」を記念した、大石先生と生徒たちのブロンズ像が立っている。この像はとても素晴らしい出来で、下から照明で照らされた群像は、感動的な美しさであった。

「二十四の瞳」の先生と生徒たちのブロンズ像

 翌日、島の南岸に沿って走り、10時半ごろ、二十四の瞳の舞台になった「岬の分教場」に到着した。ここに保存され、公開されている分教場は、実際に明治から昭和にかけて小学校として使われていた建物で、1954年の映画ではロケ地になった。今回初めて知ったことだが、「二十四の瞳」には、1987年に田中裕子が主演して、名脚本家でもあった朝間義隆が監督した別の映画作品も存在する。この作品の評価が高かったことがきっかけになって、島興しの一つとして、この先の岬の突端に近いところに、映画村ができたのだった。映画村にも分教場の建物があるのだが、こちらは、この映画撮影のために作られたセットである。

分教場の外観

 本物の分教場には、二つの教室があり、奥の教室には、大きなパネルが壁や仕切り板に9枚展示されている。そこには、びっしりと文字や文章が書き込まれている。田中裕子主演の映画が撮影された後、田中裕子は、ここ小豆島の土地と人々に愛着を持ち、毎年訪れて、地元の人たちと交流を続けているのだという。その際のイベントとして、全国の教師、教師のOB、教師のたまごたちが集い、教育を考えるシンポジウムが開催されているということがわかった。その参加者たちが、シンポジウムの後の感想を思い思いに書き込んだ寄せ書きが、そのパネルである。そのイベント自体とても感動的ないい話だが、実際、書かれている言葉を読んでいると、目頭が熱くなり、胸に感動が押し寄せて、時間の経つのを忘れてしまった。

教室の内部
昭和の名女優第4位にあげたい田中裕子主演の二十四の瞳のポスター
シンポジウムに参加した教師・教師OBたちの寄せ書き

 その後、映画村まで自転車を走らせた。この映画村もなかなか立派な作りで、時を忘れてしまう。この中に立派な壺井栄文学館もあり、初めて壺井栄の全容を知ることができた。佐多稲子や宮本百合子と同世代で、深い交流があり、作家として相互に影響を受けているようである。坪井栄の作品だけでなく、佐多稲子、宮本百合子の作品も、この機会に目を通してみたいと感じた。おしゃれなブックカフェや「二十四の瞳」を上映しているミニシアターもある。外には、大石先生と子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿のブロンズ像が菜の花畑に囲まれてインスタレーションされている。

大石先生と子供たち

 食事をする場所もあり、そこには、角田光代の代表作の一つ「八日目の蝉」の映画ポスターが大々的に展示されていた。全く知らなかったのだが、この物語の舞台も小豆島であった。この映画も、旅から帰ってから鑑賞したが、確かになかなかの傑作であった。

*余談:昭和の代表的な女流作家の作品をいつか体系的に読んでみたいと思い、彼女たちの生きた(生きている)年代を年表に書き出してみたことがある。

昭和の女優作家たち(手書き乱筆)

 昭和一桁生まれに、キラ星の如く才媛たちが集っていた。一つ気付いて驚いたことは、みな名前に「子」が付く。ただ一人の例外が、今も現代日本社会の歪み、とりわけ反戦平和を希求する立場から警鐘を鳴らし、積極的な言動をされている澤地久枝であった。

(終わり)



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