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吉永小百合「北の三部作」を中心に(2023年夏 北海道利尻島&礼文島サイクリングと登山の旅をきっかけに)

note記事「2023年夏 北海道利尻島&礼文島サイクリングと登山の旅(礼文島サイクリング編)」(2024年7月)にて紹介したように、礼文島を訪れた際に、「北のカナリアパーク」を訪れた。吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」(阪本順治監督)のロケ地を公園として保存して、観光用に公開した場所である。そこでこんなふうに記した:

(引用)
ここで、今まで気がついていなかったことを知ることになった。
 吉永小百合主演で、北海道を舞台にした「北の・・・」というタイトルの映画作品が三つもあるということ。
 「北の零年(ぜろねん)」行定 勲(ゆきさだ いさお)監督@2005年
 「北のカナリアたち」阪本順治監督@2012年
 「北の桜守り」滝田洋二郎監督@2018年
 いずれもまだ見ていない作品。吉永小百合については、「キューポラの街」以降「愛と死を見つめて」など、浜田光夫とのコンビで作られた10代の青春映画の数々で、私の中でイメージが完全に固定化されてしまい、その後の作品はほとんど見ていなかったし、見たいとも思わなかった。しかし、今回の体験で、こうした近年の作品も鑑賞してみようという気分になった。
(引用終わり)

そこで、今回は、”吉永小百合”の映画作品を「北の三部作」を中心に、脱線も交えてつれづれ紹介してみたい。(ネタバレがあります)

1。「北のカナリアたち」阪本順治 2012年 東映 
   湊かなえ原作「二十年後の宿題」
   脚本 那須真知子

 数年前に話題になった映画の舞台が、記念パークとして礼文島の観光地の一つになっているということだけ事前に知っていた。島を去る日、天候が悪かったので躊躇したが、フェリーの出港まで時間があり距離的にも近かったし、二度と来れない気がしたので、小雨と風の中、自転車を走らせた。
 撮影に使った分教場がそのまま残されており、中に入って廊下を歩き、教室に入り、映画のシーンと重ねることができる。この映画については、事前に何の情報も持っていなかった。建物の中で展示されていた映画に関する説明で湊かなえ原作とわかり、ミステリー仕立ての物語の展開に大いに興味をそそられ、旅から帰ってしばらく経ってから鑑賞した。
 礼文島の南端、雄大な利尻富士を目の前に仰ぐ地に作られた島のこの分教場を舞台とした、若い女先生と生徒たちの交流の物語。だが、単なる先生と生徒の心温まる心の交流の物語ではなかった。若い先生の身に起こる”人生の重大事件”が、大人に成長していく生徒たちの人生の行方にも絡んでミステリー仕立てで展開する。
 東映六十周年の作品と位置付けられているようだが、吉永小百合主演で北海道を舞台にした「北の三部作」の第二弾という位置づけでもあった。

舞台となった分教場(セット)

 最果ての離島にやってきた吉永小百合演じる若い女性教師。”今までやる気のない先生ばかりだった”から、1年生から6年生までの全校生徒6人は皆喜んだ。先生は、島の役場の助役(里見浩太朗)の娘だった。札幌で先生をしていたが、大学の教員だった夫(柴田恭兵)を連れて島に戻ってきた。

 海を挟んだ目の前の利尻富士はもとより、北海道側のサロベツ原野、オジロワシの雄飛など、厳しくも雄大で美しい自然の風景が、日本を代表する名カメラマン木村大作の手で、見事な映像に表現されている。

 生徒たちは、合唱コンクールに出て入賞しようと頑張って歌の練習をする。子供たちは、歌を唄うことで、徐々に自分たちにも取り柄があることを見出していく。しかし、主役の座をめぐって競争心が芽生え・・・。親同士の間の男女関係が子どもたちの関係にも影をさし・・・。貧しさにも差があり・・・。狭い地域社会、学校の人間関係で、知らずに緊張が高まっていく。そんな最中に、”事件”が起きた。

先生と生徒たち

 先生は、夫を失っただけでなく、その事件の責任を取る形で、後ろ指を刺されるようにして村を去る。子供たちは元気をなくし、唄を歌わなくなり、「唄を忘れたカナリアたち」となってしまった。

 生徒たちが成長して社会人になってから、先生の元に刑事が訪れてきて、元の生徒の一人が殺人事件の容疑者となっていることを知る。先生は、かつての教え子たちを訪ねて再び”北海道の最果ての地”を訪れる。容疑者となっていた鈴木信人君は、最年少で、吃音でうまく喋れない生徒だった。彼は、小さい時に父母を失い祖父と二人暮らしをしていたが、祖父の死後、縁者に引き取られて島を去ったことを知る。生徒たちを次々に訪れて会話を重ねる中で、あの”事件”の真相が徐々に明らかになっていく。そして、事件の引き金となった最も重大な要因が先生からも明かされる。

 一方で、ある敏腕刑事が、地位を退き、一警官となって礼文島の警察署に異動してきた。彼は、担当した事件の被害者である女子高生を助けられずに目の前で見殺しにしてしまい、生きる気力をなくしていた。そして、1からの再出発でも、生きる気力が戻らず死のうとしたときに、先生に声をかけられて命を救われる。その後、先生がたびたび警官を励ますうちに二人の間には愛情が芽生え・・・。

 先生として、教え子たちに贔屓なしに全力で愛情をかけて教える。一方で、女として男を愛する感情と、性愛を求める抑えられない気持ちに葛藤する。その先生の成長した元女子生徒の一人が、親友の夫を好きになってしまい、「人を好きになったしまったら、どうにもならないことってある」と告白する。その気持ちが、先生の経験と重ね合わされる。

 貧困家庭で少女時代を過ごして、成長してからも心を閉ざすようにして幼稚園の先生をしている生徒もいた。20年ぶりに再会した男子生徒に、やっと心を開けるようになった。子どもにとって自分に何の責任もない”貧しさ”がどれほど深い心の傷を負わせ、その後の人生を制限するものか。そういうことにも想いを向けさせられる。

 もの心ついた時から両親がいなかった信人君は、先生を母親のように慕っていた。先生が島を去る時、”捨てられた”と思った。その後、島を出て成長し、他人のつらい気持ちがわかる心優しい青年になっていた。雇われていた鉄工所のおやじが妻に繰り返し暴力を振るうのをみていられなかった。身を挺してその女性を救おうとして自分も大怪我を負い、挙げ句の果てにおやじを殺めてしまったのだった。

 先生は彼から連絡を受けていたのかもしれない。刑事には嘘を言ったのかもしれない。礼文島に身を隠していた信人君は、同じ同級生で警官となって島に戻ってきていた勇(いさむ)に捕まる。

 勇は刑事に土下座をして、収監前に元の分教場を彼と一緒に訪れることを許してもらう。先生が島を離れる前の最後の授業で出した”果たせなかった宿題”は、
「唄を忘れたカナリアの気持ちは?」

 信人が、刑事たちに促されて教室に入ると、そこには・・・。慟哭する信人の前には・・・。この場面は涙なしには思い出せない。
先生の離任で果たせなかった「唄を忘れたカナリア」をみんなで合唱する。

「つらくても生きていきなさい、生きなくちゃいけない」
こう先生夫婦に励まされ助けられた元刑事は、辞職して島を去った後、海外に渡って地雷除去の仕事をしているという便りがあった。物語に厚みを与えるエピソードだ。湊かなえの手腕を感じる。

以下は、この作品でちょっと引っかかった点:

* 先生が、かつての教え子たちと再開して彼・彼女たちに話しかけるときの言葉遣いが、丁寧すぎて不自然に感じてしまう。

*「人を好きになってしまったら、どうにもならないことってある」という、先生の”いきさつ”がちょっと唐突に感じてすっきりしない。”女の心”とはどういうものなのだろうか・・・

(付記)「唄を忘れたカナリア」(歌詞)

唄を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはかわいそう

唄を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか

いえいえ それはなりませぬ

唄を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか

いえいえ それはかわいそう

唄を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい

月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

「唄を忘れたカナリアは、・・・すてましょか うめましょか・・・ぶちましょか・・・」
なんという歌詞でしょう!
つらい境遇で気持ちが折れそうになるのをなんとか耐え忍ぼうとしている。そういう心の揺れが溢れているような歌詞と取りましょう。そうして、最後には、”象牙”に”銀”に”月”という静謐で輝かしい世界に包まれて元の”自分”に戻る、戻ることができるという希望が”仮定形”で提示される。
西条八十の詩人としての魂の原点を示している作品と言えるのかもしれない。


2。「北の零年(ゼロねん)」行定勲(ゆきさだ・いさお)2005年 東映
 
   
 結果的に、2005年のこの作品から、吉永小百合主演の「北の三部作」というシリーズものが始まることになった。すなわち、三部作の第一作にあたる作品だ。

 現代の日本人には少し馴染みが薄い歴史に基づく物語なので、その歴史的事件と映画制作の背景について、Wikipediaから引用してみたい。

”明治3年5月13日(1870年6月11日)に起こった庚午事変に絡む処分により、明治政府により徳島藩・淡路島から北海道静内へ移住を命じられた稲田家と家臣の人々の物語”(Wikipedia)

 DVD解説には、”日本再生の祈りを込めて”つくられたとあるが、実際には、バブル崩壊で地元銀行(拓殖銀行)が倒産するなど低迷する北海道経済に、外資のシネマコンプレクス進出計画などで危機感を募らせた地元経済界が後押しして、制作にこぎつけた作品のようである。

 当時、日本映画界を代表する押しも押されぬ大女優吉永小百合が、それまでの付き合いで気心が合っていた脚本家の那須真知子の脚本を読んで気に入って出演を快諾し、当時注目を浴びつつあった若手の映画監督で、吉永小百合がその作品に好感を持っていた行定勲を指名して制作にこぎつけたという(Wikipedia等より)

 調べたところ、この年の日本アカデミー賞では、優秀作品賞をはじめ、数々の賞を受賞しているが(最優秀作品賞は「ALWAYS 三丁目の夕日」)、映画業界や評論家など鑑識眼のある100名を超える人たちによって映画作品の質を総合的に評価する権威のあるキネマ旬報ベストテンには選ばれていない。

 日本アカデミー賞は、映画業界の大手の会社とその系列企業の従業員によって選ばれ、受賞作品も大手映画会社の持ち回りという慣習がある、極めて商慣習的なお手盛りイベントと言われている。斬新な手法や社会問題に鋭く切り込んだ作品などを評価する力が弱い。黒澤明が、「権威のない賞を受賞するわけにはいかない」と言って「影武者」の受賞を辞退したり、樹木希林が受賞挨拶で「早く権威のある賞になってほしい」と発言したり、北野武が、「日本アカデミー賞最優秀賞は大抵が大手3社の持ち回りで決まっている」と発言したり。日本アカデミー賞協会会長を務めている大手映画会社の会長が、慌てて反論しても、十分化けの皮が剥がれていると言わざるを得ないだろう。
 極め付けは、2022年の「Fukushima50」。これ以上ない話題性のある物語を、豪華な俳優陣を投入して制作した作品だが、激論のある重大な社会問題に切り込むどころか、臭いものに英雄譚で蓋をして、危機に際して困難に立ち向かう勇気のある日本人はいつでも現れるから「問題ない」と関心をそらす、政治色が極めて濃い作品に、批判性なく絶賛して多くの賞を与えている。もちろん、キネマ旬報ベストテンには、姿を見せていない。

 この観点から、吉永小百合主演の、近現代の北海道を舞台にした人間ドラマ「北の三部作」をまとめてみると次のようになる。

「北の零年」行定勲/那須真知子 2005年(公開) 吉永小百合 59歳(共演 渡辺謙) 
日本アカデミー賞(2006):作品&監督「優秀賞」、主演女優「最優秀賞」
キネ旬ベストテン外(2005)(1位:「誰も知らない」是枝裕和)

「北のカナリアたち」阪本順治/那須真知子 2014年 吉永小百合 69歳(共演 柴田恭兵)
日本アカデミー賞(2015):作品&監督&主演女優「優秀賞」(12部門で優秀賞を受賞、うち3部門で最優秀賞を受賞)
キネ旬ベストテン外(2014)(1位:「舟を編む」石井裕也。「そして父になる」是枝裕和で、リリー・フランキーと真木よう子が最優秀助演男優&女優賞受賞)

「北の桜守り」滝田洋二郎/那須真知子 2018年 吉永小百合 73歳 
日本アカデミー賞:優秀賞多数(最優秀作品賞は「万引き家族」)
キネ旬ベストテン外(1位:「万引き家族」是枝裕和)

以下、本論に戻って作品内容を紹介する(ネタバレあり)

 稲田家のリーダ的家臣、小松原秀明(渡辺謙)とその妻志乃(吉永小百合)を中心として展開する物語である。

 明治維新の直後、幕府は滅びたが、藩はまだそのまま存続していたときに、徳島藩と淡路島稲田家の間の諍いに対する新政府の裁定は、稲田家の北海道への配置換えだった。配置換えと言っても、行き先には原野があるだけであるから、自力で開拓して生きていけということであった。苦難の末、第一陣が原野を開拓して、2年後に第二陣を迎え入れる手筈であたが、第二陣を乗せた船が、和歌山沖で難破して、80数人全員が死亡。悲嘆の中、藩主を迎え入れるが、直前に廃藩置県が実施され、藩主は、開拓の労苦を労うこともせずに去っていく。おまけに、開拓した土地は、自分たちのものにならずに、北海道開拓使のもとに置かれる。

 残された家臣たちはそれでも、自分たちで開拓した土地で生きていくことを決意する。
小松原は、開拓使に自分たちの土地の権利を認めてもらうために、札幌の開拓使のもとに向かうが、消息を断つ。その間に、開拓地では権力争い、金欲、色欲の争いが展開する。
ここに、北海道の先住民族であるアイヌの人々との交流がわずかに描き込まれている(注)。新政府軍との争いに敗れて、家族も失った元会津藩士高津政之が、生きる希望を失ったところでアイヌに命を救われ、アリシカという名前を貰ってアイヌの中で生きていくことになる。同じ境遇になった志乃母娘が窮地に陥ったときに、彼女たちに救いの手を差し伸べる。

(注)アイヌ民族に対して、”和人”が犯した歴史的な罪については、長く、「臭いものには蓋」の態度が取られてきたように思うが、やっと近年、この問題を取り上げる人や組織が増えてきたように感じられる。先日、そうした映画作品の一つといえる「カムイのうた」を鑑賞し、改めて自らの知識不足、不明を恥じた。この問題については、後日、もう少し理解を深めてから考えをまとめてみたい。

 消息を断っていた秀明は、札幌に向かう途中で死にかけたところで命を救ってくれた一家のもとで働き、その家の娘と一緒になり、開拓使の役人になっていた。その秀明が、西南戦争に必要な馬の徴用のために、開拓使の役人としてこの地に戻ってくる。元の藩士たちから裏切り者呼ばわりされ対立する。公権力と武力でねじ伏せようとする秀明。馬の引き渡しを断固拒否する志乃。この時アシリカが厩から馬を解き放ち、志の前に死を決して立ちはだかる。アリシカを狙った銃砲は、間に身を挺した志乃に当たる。しかし、命は取り留める。志乃は、アリシカに対し「死なないで、生きて。生きてください。」と訴える。このセリフが、すでに紹介したように、次作品となる「北のカナリアたち」の中でも、決定的な台詞として使われることになる。秀明は馬の調達を諦めて撤収していく。

 志乃は、「皆さんの力がこの土地で一つになりました。我らの土地です。ここから始めたのです」と傷ついた体で土地を耕し始めると、みな次々に農具を手に取り、志乃に従うように土地を耕し始める。

 なお、この映画の中で、開墾した土地をイナゴの大軍が襲い、作物が全滅する場面がある。イナゴの大発生と農作物の被害は、遠い外国の話と思っていたので、とても違和感があった。そこで、北海道でもイナゴの大発生があり大きな被害が出た記録があるのだろうかと思って調べてみると、少なくとも明治16年に帯広の開拓地がイナゴの大群に襲われて大きな被害が出たことがわかった。北海道でも潜在的な危険はあるようだ。

3。吉永小百合主演のその他の作品について

 「北の三部作」の第三作である「北の桜守り」は、実はまだ鑑賞していない。三部作シリーズは、いずれも日本映画に名を残してきている名監督たちにより、質の高い原作に基づいて作られており、出演者、制作スタッフも豪華である。キネ旬での評価こそ今ひとつではあるが、日本映画史に残る作品群であると言っていいだろう。ただ、個人的にはちょっと食傷気味になって、第三作「北の桜守り」の鑑賞の機会を逃してきている。代わりに、吉永小百合の他の作品について少し雑感を交えて紹介したい。

昨年2023年秋に公開された「こんにちは、母さん」は、吉永小百合の「母」の三部作になったようだ。

「母べえ」山田洋次監督 2008年 共演 浅野忠信
「母と暮らせば」山田洋次監督 2015年 共演 二宮和也
「こんにちは、母さん」山田洋次監督 2023年 共演 大泉洋

こちらも、第三作となった「こんにちは、母さん」だけは鑑賞していない。
よって、ここでも第一作「母べえ」と第二作「母と暮らせば」を感想とともに簡単に紹介したい。

その前にちょっと寄り道を;

***

第二作の「母と暮らせば」は、井上ひさしの原案を山田洋次が映画化したもので、さらにこまつ座で舞台化された。この作品は、井上ひさし原作、原案の「父と暮らせば」、「木の上の軍隊」と合わせて、「戦後”命”の三部作(舞台作品)」と呼ばれるようになっている(山田洋次が命名)。

「父と暮らせば」:広島の原爆で亡くなった父の亡霊が、生き残った娘の前に現れて生きることを励ます
  1994年 舞台(こまつ座)辻萬長/栗田桃子(2008年〜)
  2004年 映画(黒木和雄)宮沢りえ/原田芳雄

「木の上の軍隊」:沖縄で終戦を知らずに2年間ガジュマルの木の上で過ごした二人の日本兵の実話をもとにした物語
  2013年 舞台(こまつ座)藤原竜也

「母と暮らせば」:長崎の原爆で死んだ息子が3年後に亡霊となって母の元を訪れ、病弱な母を明るく励ますが、母は徐々に衰弱して亡くなり、亡霊の息子は母を連れて冥界に戻っていく
  2015年 映画(山田洋次)吉永小百合/二宮和也 音楽 坂本龍一
  2018年 舞台(こまつ座)富田靖子/松下洸平

これらのうち、最新作品である、舞台「母と暮らせば」以外の映画、舞台は鑑賞している。それぞれの作品に思い出や感想はあるが、ここでは、黒木和雄監督の映画「父と暮らせば」で、女優としての宮沢りえの力量に深く感動したということだけ述べておきたい。

そして、その作品の監督黒木和雄についても一言。ドキュメンタリー映画の監督としてデビューして劇場映画も手がけるようになり、徐々にその力量を高め、60歳前後と70歳を超えてからの作品で高く評価されるようになった。その黒木和雄の次の3作品は、「戦争レクイエム三部作」と呼ばれている。

『TOMORROW 明日』1988年:原爆の悲劇を扱った作品
  (キネマ旬報ベストテン日本映画2位/主演女優賞 桃井かおり/監督賞 黒木和雄)
『美しい夏キリシマ』2002年:終戦直前の宮崎の農村で過ごす病弱な少年の目を通して戦争の不条理さを描く
  (キネマ旬報ベストテン 日本映画1位/監督賞 黒木和雄/新人男優賞 柄本佑)
『父と暮せば』2004年   :
  (キネマ旬報ベスト・テン 日本映画4位/主演女優賞 宮沢りえ)

上記に加えて、遺作となった、
『紙屋悦子の青春』2006年(キネマ旬報ベスト・テン 日本映画4位)
も戦争で引き裂かれる若い男女の悲劇を扱った心を打つ作品であり、語呂は悪いが、「戦争レクイエム四部作」ともいえるものである。

***

▪️「母べえ」山田洋次監督 2008年 (「母」三部作 第一作)
 「母べえ」は、黒澤明の作品のスクリプター(制作現場記録係)を長く勤めてきた黒沢プロダクション・マネージャーである野上照代のセミドキュメンタリー作品が原作になっているという。この作品は、東京帝大卒のドイツ文学者であり、思想犯として治安維持法で逮捕された父、野上巖(のがみ いわお)(ペンネーム新島巌)の半生を描いた「父へのレクイエム」で、複数の賞を受賞している。
 この作品では、父は獄中で死去したことになっているが、実際の父野上巖は、獄中で転向し釈放されている点が事実と大いに異なるようだ。「転向」という、戦後の民主主義の進展する日本社会の中で負の評価を与えられた行為は、当時の厳しい社会情勢を前提にしても、子どもとしてそのまま受け入れることが難しかったのかもしれない。戦後、民主主義運動に積極的に参画して、1955年に神戸大学の教授に就いたが、2年後の1957年に、56歳の若さで亡くなっている(死因は不明)。

 吉永小百合演じる「母べえ」が、地方の警察署長であった父親からも、思想犯として捕まった夫の行為を勘当や縁切りまで切り出されて責められたり、隣り組で肩身の狭い思いをしながらひっそりしかし気丈に暮らす姿が中心となっている。そんな逆境でも、夫を庇い、幼い二人の娘の面倒を見ながら小学校の代用教員を務めつつ夫の帰りを待つ。戦後、女手一つで二人の娘を育て、最後は、獄中死した夫と、「天国でなくこの世でもう一度会いたかった」と息を引き取る。
 後半は、現実からはかけ離れたストーリーとなっているようだが、戦中戦後にかけて、このような境遇を経た家族は幾つもあったろうと推測される。そういう意味では、単なるドキュメンタリー作品の枠を超えて、普遍的な社会問題、家族の愛情を描いた作品と捉えることができるかもしれない。

 吉永小百合、この時62歳。30代の母親を演じて違和感がないのはこの女優以外にありえないだろう。

▪️「母と暮らせば」山田洋次監督 2015年(「母」三部作 第二作)

 100歳で死去した新藤兼人の7回目の平和映画祭三日目、「母と暮らせば」、「さくら隊散る」を新文芸坐(東京池袋)で鑑賞した。上映後に、山田洋次のトークショーが組まれていたこともあり全席指定席で1500円。作品は、原爆がテーマの重い作品だが、一年に一度のこの時期にふさわしい上映だった。このnote記事の主題である前者は、井上ひさしが構想を練りながらも舞台化できなかったテーマを山田洋次が映画化した作品だが、井上ひさしの実の作品のようなできばえを期待するのは酷であったかというのが鑑賞した第一印象だった。ユーモアもエピソード展開も今ひとつ。吉永小百合はともかく、息子役の二宮和也の演技があまりにも舞台演技的で、映画作品としては失敗しているのが残念。

 余談になるが、後者の「さくら隊散る」は、あまり知られていない歴史の悲劇を、関係者が生々しくかつ生き生きと描き出している作品で、新藤兼人らしい手腕が冴える作品と感じた。「さくら隊」とは、戦時中に結成されて地方巡回も積極的に行っていた劇団が、戦争の激化で立ち行かなくなり、一旦解散した後、広島に疎開したメンバーによって再結成された演劇集団だった。広島への原爆投下によって、劇団の宿所にいた9名全員が、即死も含め、8月中に亡くなった。この中の一人が女優園井恵子。阪妻主演の「無法松の一生」(稲垣浩監督 1943 東宝)で、準主役となる軍人の妻を情感豊かに演じて強い印象を残した。なお、この作品は、オリジナルの作品からは、戦前の内務省の検閲、戦後のGHQの検閲で、かなり内容を変えられたりカットされたりしているのが残念であるが、それでも非常に見応えがある。のちに、三船敏郎と高峰秀子版(1958年稲垣浩リメイク)、勝新太郎と有馬稲子版(1965年三隅研次)が製作され、これらも大いに見応えがあり優劣つけ難い名作と言える。

 アジア・太平洋戦争を扱った映画作品の中で、戦記物を除いて、原爆や沖縄戦などの国民が被った悲劇や戦時犯罪を扱った、つまり「戦争と向き合った」作品は、いったい何本あるのだろう。夥しい本数に及ぶに違いない。
 今度は、その中でも、1)戦争犯罪、戦争責任に関する作品、2)原爆、被爆に関する作品 を紐解きながら、日本の戦後史に向き合ってみたい。とりわけ、2)では、再び吉永小百合の出演作品の数々を取り上げることになるだろう。

****

おわり

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