2/4日記 他人の評価はどうでもいい


「他人にどう思われていても構わない」


最近これを思うようになった。


昔は「他人からの評価が絶対」と、承認欲求に生きていた時期もあった。

だから、他人から嫌われることがとてつもなく怖い日々を送っていた。



なぜ、その「認めてもらわないと生きていけない」から、「認められなくてもよい」と思えたのか。


その答えの一つの軸がある。

「他人からの意見は案外あてにならない。」

これは、他人からのアドバイスなど所詮、自分の人生に対する責任が希薄であるということだからだ。


「〇〇した方がいいんじゃない?」


有難いアドバイスであるかもしれない。

しかし、その中に、もしその行動をとったところで

お前は責任を負ってくれるのだろうか?

その点に着目すれば自ずと見えてくる。



アドバイスはエゴと無責任であることが前提である。


故に同じ悩みでも、アドバイスを聞いて動くも動かないも自分自身で決める。


人生、自己決定権を握って生きていれば、無気力になることはない。


そのことを理解していれば、何も怖いことはないのだ。


そして最近、微妙に嫌なのが、最近職場でロリコン扱いされている


「はにゃ????????????????????」


ロリコンでもないし、年下別に好みでもなければ言ったこともない。


だが、言われているのだ。


ただの先入観と思い込みによって、他人からの自分のイメージなど変わってくる。


ロリコンではない。年上好きだ。

とも言ってみたこともあった。

すると「うちの嫁さん狙わないでよ!!!!」と言われる始末。


はぁ~~~~~~。めんどくさ。


もう、ロリコンでもなんでもいい。


自分が自分の規範があって、それを脅かされないのなら、何でも言ってくれ。


他人からの印象を変えるのは案外難しい。

一度ついてしまった先入観を払拭するには、地道に努力して積み上げていくしかないのだ。

しかし、それを行ったところでメリットがある相手とそうでない相手がいる。

仕事の人は圧倒的に後者。


「どう思われても、構わない」


それより、自分のアイデンティティとか、自分の人生豊かにすること考えようぜ。

他人の悪いところ見つけて生きていくだけの人って、立派な人ではなくただの暇な人なのかもしれないし。

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