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【恥】ええ格好しいやめよか?─虚無いポエム+α
読むんめんどい/時間がない人は、序文と本文だけでも流し読みしてってください。あとは、読まんでええです。とりあえず、記事をクリックしてくれてThanks !👍
》序文
文体が統一されてない文章ってのをグチャグチャに書き散らかしてみたくって…別にそれで文章がおもろなることなんて一切ないのになんか好き勝手書きたい。最近の主な欲求はこれです。人の目を気にせずに好き勝手書きたい。我インフルエンサーにあらずなのに何を人目なぞ気にしとるのか?とキミは思うじゃろ?それがな、たとえ100人でもフォロワー居ってみ?100人の中にはたまにオフ会するくらい結構仲良い人も居れば、リプすら交わさないツイート見てるんか見てないんかすらわからんくらいのちっとも仲良くない表面だけの薄っすい付き合いの人間もおるわけです。つまり、人間関係に濃淡がつく。これは、濃い人を贔屓するってことでもある。じゃあ、贔屓の人にはできるだけ嫌われたくはないわな?とわたしなんかは思っちゃう。だから、「これ言ったらあの人はどう思うだろ?アホやなとか思われんやろか?」とか「これ言ったらわたしはアタマおかしい人と思われないかしら?」とか気にしちゃう。こうなったら、好き勝手なんかできなくなる。
で、わたしにはSNSにそういう中途半端なアカウントがいくつもできてしまった。しかも、そのそれぞれにちょっとよく思われたい人がいる。で、不都合なことにそういう人たちが別々のアカウントなのに重なっていたりするわけ。Aというアカウントでは人格aのおれを演じてそれを好きになった人と仲良くなる。Bというアカウントでは人格bのおれを演じてそれを好きになった人と仲良くなる…ってときに、人格aと人格bの友達がちょっとだけ重なるんすよ。
まあ、人間の人格というのは基本的に多面的であるとはいえ(面a、面b、面c…が存在する)、その各々は微妙に共通する部分もあったりする。完全に別モン(重なりのまったくない)の人格aと人格bを演じることは不可能。故、上述のような現象が生じる。
これは、居心地がえらく悪いもんで、喩えるなら、大学の友達とメシ食ってる席になんでかしらんがオカンおるみたいな状態です。
大学の友達の前でキャラaやのにそれを家ではキャラbとして知ってるオカンに見られている(上述でいう人格aと人格bを両方知ってる人物がここでいうオカンになる)、この居心地の悪さ、わかりますよね?気持ちよう喋るなんてできやしません。
まあ、大学の友達って、けっこう気を許せる仲である場合が多いと思うんですけれども、それでもいくらか気を張ってる、というか格好つけてる。ええ格好しとるんですわ。そのええ格好しとるのをなんか見られる恥ずさとか、でも、ええ格好したい、そのジレンマみたいなところで我々は日々苦しんどるわけです。
まあ、ええ格好しなあかん(自分でそうすることを選んでいるわけなんだけれども)のは、本当は物凄くだるいことなので、そういうフラストレーションを吐き出したい。溜まった膿を切開して放出させる医療行為を自ら施したいとわたしは考えている。胸糞映画を観てめっちゃ泣いてカタルシスを感じるOLと一緒。完全にあれや。わたしは今日それをします。ええ格好するんやめます。メタ的にいうと、「ええ格好するんやめます」いうのも、「ええ格好しようとしてない自分格好ええやろ、お前らにはできんやろ」という一種の「ええ格好しい」という理屈が成り立つがそういうことをやり出すと無限マトリョーシカ的メタ論法が成立して極めてめんどいので、今回はそういうことは無視します。めんどくせえのきらいなので。で、今回は2つの意味で「ええ格好しいをやめよう」をやっていきます。
◎1つ、人間関係におけるええ格好しいをやめよう。最初から醜態を晒け出して寄ってくるやつと仲良くなれば人間関係の維持コストは低くなる(つまり、ラクになる)
◎2つ、過去に自分が行った失敗を保存して戒めにしよう。隠してええ格好しようとすな
この2つです。じゃあ、やっていきまっしょい!
》挨拶
お久しぶりです。みなはん、元気しとりまっか~?わてくしは元気です。というか、元気すぎて危ないくらいです。今、若干の躁を自覚しております。たぶん、また数日~数週間後には急転直下、寝てばっかりみたいな生活になるでしょう。躁というのはエネルギーの過放出と捉えることができますので。
で、今回の記事ですが、新しい内容はあんまり含みません。過去の短文投稿(つぶやき)をまとめたもの(『ポエムの墓場』の項)がメインです。わたしは時折アタマの中を整理したくなることがございまして、今回もその衝動に駈られてやるだけですので、その部分に関しては読む必要まったくなしです。
とりあえず、生きてるよ、ということだけ報告させていただけたらなと思います。
では➰👋😃
》本文
細かい文章をTwitterみたいに連投するのも、なんだか気色悪いというか、性に合わんのでひとつの記事に纏めてしまいました。2021年の暮れに何を思ったのか、年末の挨拶を兼ねて、それはもうキショいキショい虚無ポエムを連投しました。今じゃ目も当てられませんわ笑。穴があったら入りたいが、入る穴もありゃあせん、ということで素直に自分の恥として、いわゆる「黒歴史」として受け止めたいと思います。
ちなみにわたしは過去の自らの汚点を残しておきたがる、という謎の癖《ヘキ》がございまして、たとえば、わたくしは過去に躁鬱の治療のために服用していた薬の影響で激太りし、体重が約90kgに至ったことがあります。それはもう不細工かつ無惨なモノで特に出会う女性にはことごとく相手にされない、という状況が続きましたwww
極めつけは親友の結婚式に参加させてもらったときに、新婦が我々友人のテーブルに挨拶に来た際、同席していた他の友人たちには挨拶するのに、わたしにだけ一瞥もくれず去っていったということがありました。人は見た目で他人を判断します。会ったことない人なんて、特にそうです。『人は見た目が9割』なんて本が昔流行りましたけれども、これは至極正しいことを言っている。で、まあ、惨めな思いをたくさんしたわけです。当時のわたしは。友人にも散々いじられましたからね。うざいね。
で、その時期に取得したマイナンバーカードとか免許証の類いは写真が全部90kgのころのわたしなんです。顔がめちゃめちゃデカい…!贅肉で顔の輪郭がパグみたいになっとる。それ以降、それらの身分証明書の写真を更新する機会は何度かありましたが、わたしは"敢えて"写真をそのままにしておくことにしました。それは、もうこんな醜い姿になりたくない、そして、醜くなって人にバカにされたり、蔑ろにされて嫌な思いをしたくない。だから、このときの(極めて不愉快な)気持ちを忘れないように「保存」しておこう。そう思ったわけです。
ちなみに、徳川家康は三方ヶ原の戦い(だったかな?間違ってたらスミマセン🙏)で敗走したときに、恐怖のあまり大便を漏らしてしまったそうです。そのときに、専属の画家に「いまのわたしの姿を描け」と命じたそうです。(顰〈しかみ〉像)
これも、「自分の醜態を保存し、同じ過ちを繰り返さないよう思い返す」というわたしの先述の話と似てますね。
ということは、わたくせ≒徳川家康か…フフーン、悪い気はしねえな、なんせ天下人だしな。逆ですね、徳川家康≒わたくせですわ。まあ、ええように言い過ぎですが。
というわけで、家康に似ておるわたくしは、過去に書いた自分のクソみたいなポエムを黙って消すこと(もできただろうがそういうこと)はせず、そのままここに連投した文章を保存することにする。そして、時折振り返っては過去の自分はこんな恥ずいことを言うてたんだな…と思い直すのである。
ただし、これは今後恥ずいことをしないということではない。恥ずいことをするのは大事なことだ。人間取り繕っててもなーんもええことあらへん。人間関係だってそうだとわたしは思う。そらな、一時的には格好ええ人の周りには同じく格好ええ人が集まってくるわけやから、なんか格好いい集団に在籍できている自分に恍惚としておることはできるけれども、人間関係というのは、「維持コスト」っちゅうのがかかるわけですわ。つまり、格好ようして(着飾ったりとかして)集めた人たちは「格好ええあんた」が好きなわけであって、「そうでないあんた」はそんなに好きじゃないわけ。だから、ええ格好すればするほど、その人たちとの関係を維持するコストも高くなっていくっていうわけ。
だから、最初から自身の汚点を晒らけ出して、わたしゃこういう至らん所がある人間でっせ、と表明した上で人を集めたら、人間関係に気を揉むことはかなり少なくなると思ってる。まあ、「自身の汚点を晒らけ出す」言うても、社会で生きてる以上、人にはどうしても言えへんこととかあると思うから、そういうのを除いて、できる限りええ格好するのをやめるっていうのが、人間関係ラクにするコツではないかと人間関係でいっぱい失敗してきたわたくしなんかは思う。
最初に「こいつクズやな…」って思われたら、その人たちは「クズである自分も含めて好きやな」って、(おそらくは)思ってくれる人たちやから、そういう人たちを大事にしたらええ。醜態晒してなお寄ってきてくれる人たち、これはさっき言った維持コストが限りなくゼロに近い関係性といえるのではなかろうか?
で、ここで、醜態さらしたら誰も寄ってきてくれへんのちゃうんか…みたいな不安をもつ方がいらっしゃると推察するのだけれども、意外とそんなことはないとクズのわたしは踏んでる。人間には「自分のクズな部分を受け止めてほしい」という欲求があると思っていて、自分のクズ性を晒らけ出してる人というのは、このニーズに合致している。
あと、これは結構だいじな人間関係における原則だとわたしは思っているのだが、「万人に嫌われる個性など存在しない」というやつ。どんな個性であってもどこかにそれを好いてくれるやつがいる。たとえ、犯罪者でもだ(その証拠に犯罪者や前科者に配偶者や恋人がいるというパターンは少なくない)。だから、「自分の個性をいかに発露させていくか?」というのが人に好かれたい、と思っている人が解決すべき問題なのだ。
これ、就活なんかで直面した人が多いと思うのだが、キャラがそれなりに立ってるやつは落とされたりもするけど、最終的にどこかには引っ掛かる。けれども、どこ行っても落とされるやつというのが一定数いる。それは、キャラが見えてこないやつだ、とわたしは思っていた。要は、時間かけて面接したんやけど、「結局、こいつ、どんなやつ(キャラ)なん?ようわからんわ~?」みたいなやつ。あれがいちばんあかん。
「自分の個性を発露させ、それをできるだけたくさんの人に知ってもらう」
これさえできれば、人と仲良くなったり、友達作ったり、恋人作ったりするのはそんなに難しい話ではないのではないか?という気がしてくる。(まあ、実際、個性の発露がむずいのだが)
で、個性の発露に必要なのが自信である。これは説明不要だと思うが、自信がないと自分の個性(いわゆる存在感)みたいなものを出せない。個性なんて出してキモいと思われたら嫌だな、とか、そういう余計なことを考えるからだ。
さっきも言った。ええ格好すんな。醜くあれ。
って、言って自信持てたら苦労せんと思いますから、自分から言えること言うとくと、趣味でも部活でも勉強でもなんでも、なにかに没頭した時間(集中した時間)をどこかでもつことです。正直、皆くだらんって言ってバカにすると思うけど、わたしはTwitterでもいいと思ってます。めっちゃ集中してやったらええ。これがあると、「自分の世界」みたいなんが生まれてきます。
「自分の世界」があるとそこに相手を引き込むことが可能になります。引き込まれたときに相手は「こいつ、なんかおもろいやっちゃな…!」と思ってくれます。下手の横好きでもええんです。散歩が好きとかでもええんです。思索に耽るのが好きとか(大袈裟やけどわたしなんかはこれ)。なんか、どうでもええことをずっとアタマの中であーでもない、こーでもないっつって議論してるんすよ、自己が分裂してて各々が意見をもってて、それを戦わせてる。それを他者の目に見えるところに出したときに、幼稚で恥ずかしい妄想かもしれへんけど、とりあえず出してみたら、打率1~2割くらいでヒットになる。(プロ野球の野手やったらクビですね…笑)
そういう感じで「自分の世界」を作っていくことで自信が生まれ、自信が生まれるから個性の発露が可能になり、個性の発露が可能になるから誰かの琴線に触れる、結果として友達や恋人ができる。そういう風に友達も恋人もいない無職なのにクレジットカードをどうやって作ろうか悩んでいるわたくしは思います。
》本文おわり
》過去の記事のコピペ=ポエムの墓場(既読の方は読む必要ないです。恥の記録)
みなさま、お久しぶりです。おかげさまでなんとか、あるいはしっかり、もしくはちゃんと生きております。1/n
2021年12月25日 23:35
近頃は気力/体力・時間ともに不足しており、文章を書くことすら儘ならない状況が続いておりますが、またいずれ、日々起こる出来事に関心を向け、それらを楽しみ、知り得た楽しみをみなさまにも共有できる、そんな日常が戻ってくることを願っております。2/n
2021年12月25日 23:36
今日は自宅から少し離れたところにあるメンタルクリニックへ診察とカウンセリングを受けに行っておりました。ここ3年くらいは毎年、クリスマスを病院の待合室で過ごしているような気がします(笑)。3/n
2021年12月25日 23:50
今の病院に通いはじめてから今年で5回目の冬になるのですが、5年前の冬(たしか当時もクリスマス近くでした)は、もっと暗澹とした気持ちであったと記憶しています。病院の待合室の椅子から見える景色も当時とは変わったように感じます(実際は当時と何も変わっていないはずですが) 4/n
2021年12月25日 23:58
5年前と較べると、状況はあきらかに良くなっていると思います。徐々にですが。これは、ひとえに私の周囲に理解者が数名居てくれたお陰だと思っております。この意味で私は非常に幸運でした。5/n
2021年12月26日 00:03
2021年はそのような幸運を噛みしめつつ、感謝しつつ、病院で過ごしました。目下、経済的な面での不安等もあり、心安らかにとはいかないですが、かつての将来を悲観し、一寸先が絶望ですべて塗りつぶされていた日々にわずかばかりの光が差し始めたように思います。6/n
2021年12月26日 00:09
私がそのような心境に至れたのも身近な人を含めたみなさまのおかげだと思っております。本当に感謝しております。7/n
2021年12月26日 00:12
なぜ「みなさまのおかげだ」と言えるのかと申しますと、このnoteに文章を書き始めたとき、私が書いた文章(私からすると至極しょうもない文章)にさまざまな反響を頂いたからです。。8/n
2021年12月26日 00:19
「自分は何もできない無能者である」と決め込んでいた私にとって、「(あなたの文章を読んで)面白かった」とか「非常に興味深かった」等の反応を頂けたことが、それはもう私にとって(とくに1年くらい前の私にとって)大きな生きる活力になりました。9/n
2021年12月26日 00:23
コメントや感想をくださっている方にとっては"些細なこと"と思われるかもしれませんが、0と1は大きくちがいます。私にとっては何か生きる努力をするための最初の駆動力になりました。おそらく、自己効力感のようなモノが僅かに芽生えたのだと思います。10/n
2021年12月26日 00:28
拙く、お金にもならない文章を書き始めてよかったです。1年前の自分を唯一褒めてやるとしたら、「どうせやっても実にならない/何にもならない」と思いながらも、文章をネットに投稿し始めたことだけ褒めてやりましょう。文章を書き始めてよかったです。11/n
2021年12月26日 00:33
今後は文章に限らず、他の活動にも注力していきたいと思います。少しずつ生きる活力を取り戻しているとはいえ、まだ途上ですし、残された時間は当然ながら有限です。12/n
2021年12月26日 00:36
しかし、生きる努力を少しはしてみよう。そんな気分になりました。文章のおかげで。「諦めるな」ということは、私を支援してくれる人たちから、何度となく言われてきましたが、自発的に思ったことは、これが人生ではじめてかもしれません。13/n
2021年12月26日 00:40
これからも生きることを諦めそうになったり、頑張れなくなることはあると思います。というか、絶対にあります。文句を言いつつも、前に進んでいく。一生懸命生きたいと思います。拙い文章ですが、リハビリも兼ねて、2021年締めの挨拶とさせていただきます。14/14
2021年12月26日 00:44
》P.S.
これからもポエムは書いていくと思います。ポエム好きなので。
あと、元記事にいいね等くださった方、記事を消してしまうことになりすみません。お気持ちは本当にありがたくいただきました。特に、当時のわたしにとってはあなた方のひとつひとつのいいね含むレスポンスがわたしのやる気や肯定感に繋がっていました。茶化した文章を書きましたが、その点について偽りはありません。これからもわたしの文章を楽しんでいただければ幸いです。以上。
》他の人の真似をしてタグを付けてみることにした
#スキしてみて
読まんでええとはいったが、あれも建前や。
読んでくれたやつら愛しとるぞ、ちゅちゅちゅ(^з^)-☆
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