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一人で気ブックトークトーク【テーマ:ハンセン病】

『北条民雄全集』(岩波書店)

川端康成に認められた「いのちの初夜」をはじめとした物語、童話、手紙などが掲載された一冊。戦前におけるハンセン病の扱われ方、療養所での生活に触れることができる。療養所内で、社会からの差別と日々の生活の苦しさに、読んでいて苦しくなる。
 特に、療養所で過ごす子供の様子が描かれた「望郷歌」と、童話「すみれ」が印象深い。閉ざされた世界の中で生きていくしかないという覚悟。「すみれ」は、おじいさんが息子に会いに行こうと、共に過ごしてきたすみれの元を離れることを決意する話である。しかし、すみれの言葉を聞いて、それを思いとどまる。そのきっかけとなるのが次の言葉だ。

「わたしはほんとうに、毎日、楽しい日ばかりですの。」
「からだはこんなに小さいし、歩くことも動くことも出来ません。けれど体がどんなに小さくても、あの広い広い青空も、そこを流れて行く白い雲も、それから毎晩砂金のように光る美しいお星様も、みんな見えます。こんな小さな体で、あんな大きなお空が、どうして見えるのでしょう。わたしは、もうそのことだけでも、誰よりも幸福なのです。」
(中略)
「それから、誰も見てくれる人がなくても、わたしは一生懸命に、出来る限り美しく咲きたいの。どんな山の中でも、谷間でも、力一パイに咲き続けて、それからわたし枯れたいの。それだけがわたしの生きている務めです。」

『北条民雄全集』「すみれ」

 これが療養所の中で描かれている、さらに言えば療養所で過ごす子供たちに向けて書かれたのではないかと考えると、何とも言えない気持ちになる。ここで生きているだけで幸せだと感じなくてはならない、そこで力一パイに生きることが大切である・・・。

 北条民雄の生きた時代が過ぎ、苦しい現実を生きなければならなかった患者たちにとって希望の星ともいえる特効薬が戦後、日本でも広まる。ハンセン病は治る病気になったはずであり、社会に意識改革が行われるかと思い切ればそうではなかった。

『花に逢はん』(伊波敏男)

 沖縄でハンセン病を発症、その後の半生を綴った一冊。身体に残った後遺症、社会からの偏見や家族の葛藤・・・戦後であっても、ハンセン病患者として生きることの難しさが以前として存在する。描かれる中で印象的なのは、家族の断絶である。発病時の祖母の言葉、父の覚悟の伝わる言葉、その後の結婚における妻とのずれ、息子や娘と過ごせなかった時間。個人の感情が、「ハンセン病」というその一点を中心に大きく揺れ動いてしまう。これが差別と戦うということか、と思わされる。
 印象に残る言葉が2つあった。
 一つは、沖縄から本土に渡り高校をでて、東京の大学へと進学したときに出会った山口さんの言葉である。著者は彼にハンセン病患者であったことを告白した後の彼の言葉は、まっすぐである。
 もう一つは、東京コロニーで働きはじめものの、周囲からの差別に気づき、ハンセン病を理解しサポートしようとする所長らと今後の対応を話す場面での著者の言葉である。

 ・・・・・・だけどよ、病気は、お前の人間性とは無関係だろう。

『花に逢はん』「烙印」

 『偏見』は感情が認識のレベルまで高まって初めて、乗り越えて行くものだと思います。

『花に逢はん』「人間の虹」

 病気を忌避することと、その人を忌避することを混同してはいけない。そう分かっていても、嫌悪する気持ちが人々の心の中に巣くっている。これをどう乗り越えていけば良いのか。

『ハンセン病を生きて』(伊波敏男/岩波ジュニア新書)

 その一つの答えを示しているのが『花に逢はん』の著者である伊波氏が岩波ジュニア新書で書いた『ハンセン病を生きて』である。『花に逢はん』でも描かれた彼の半生と共に、小学生との交流と1996年以降の話も描かれている。
 まず、この小学生たちは担任教師と共にハンセン病について学ぶ。その小学校から講演の依頼を受けたのが伊波氏である。伊波氏は、当初ハンセン病について小学生に教えるのは、彼等の理解できる範疇を超えていると考え断るつもりでいたという。しかし、彼等は伊波氏の想像を超えてハンセン病について理解しようとしていた。
 そして、彼等がその学びを小学生段階で終わらせなかったこともわかる。彼等が小学校卒業後、ハンセン病患者がホテル宿泊を拒否されるという事件がおこる。それに対して裁判が行われるが、ハンセン病患者へのバッシングも相当なものであった。このことについて、卒業後集まって話し合っているのである。
 このことは、偏見を減らすためには、「感情が認識のレベルまで高まって」いくように一般に正しい情報と知識を与えることの重要性を物語っている。そして、それが行われないと、平成の世になっても差別は無くならないということではないだろうか。

『あん』(ドリアン助川/ポプラ社)

 借金返済のためだけに惰性でどら焼き屋を営んでいた千太郎が、70歳を過ぎて働きたいとやってきた吉井徳江との出会いを経て、自身の生き方を変えていく物語である。
 物語には、吉井さんたちがどのような境遇を生きてきたのか、ハンセン病の差別の歴史が散りばめられている。しかし、この物語の時間軸で描かれる明確な差別は、借金の返済先である奥さんの吉井さんを病気とその後遺症を理由に辞めさせようとしている点だけである。
 店に人が来なくなるが、本当に吉井さんの噂が広まったからなのかは描かれていない。お客さんが吉井さんに奇異な目を向けることはあっても、それを口に出すことはしない。吉井さんも、千太郎も、お客としてきていたワカナちゃんも、その噂のせいかもしれないとは思うが、本当にそのせいであるとは描かれていない。だから、恐ろしい。
 差別が、その場の空気や雰囲気の中で行われていくということ。差別的な言葉を浴びせるのではなく、差別的な雰囲気を作り出してしまうこと。それが、差別の問題をより難しくしているように思う。口に出さなければ良い、というものではないのだ。
 だからこそ、空気にせずに結果的に吉井さんの変形した指について、直接聞いた2人が最後に吉井さんと距離を縮めていくのは、この物語では必然なのではないかと思う。ワカナちゃんが指のことを聞いた後、指のことをいきなり訊いたワカナちゃんを千太郎が「失礼な子」と言った後の吉井さんと千太郎の会話である。

「だって、吉井さんの指のことをいきなり尋ねて」
「店長さんだってそうだったよ」
「俺は仕事ですから。一応は訊いておく必要があったわけで」
「でも・・・・・・そういうことはね」
「はあ」
「どうなのかな・・・・・・と思うよ、私」
 徳江の反応の意味がわからず、千太郎は顔を上げた。
「見て見ないふりというのは、まあ、大人の態度だけど。それがいいのか、それとも、ちゃんと訊いてあげるのがいいのか」
「まあ、難題ですね」
「ワカナちゃんは前から気付いていたもの。私の指のこと。私、知っているもの。あの子、親しくなったつもりで訊いたのよ。」
「そうですか」
「だから、その子をつかまえて、そういう言い方はやめて」

『あん』(ドリアン助川/ポプラ社)

その他 読んだ本

『13歳から考えるハンセン病問題』(江連恭弘・佐久間建 監修/かもがわ出版)

 2023年5月、コロナ禍が落ち着いて出版された本である。教員という立場の二人が監修し、今わたしたちが何を知り、何を考えるべきなのかを、ハンセン病についてできるかぎり平易な言葉で説明をしている。

『戦争とハンセン病』(藤野豊/歴史文化ライブラリー)


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