部活動指導について思ったこと
中学校で部活動顧問をしていると、顧問の異動によって、その学校の「強さ」が変わることが多々ある。私が顧問をしている演劇も例外ではない。
そんな演劇の大会を先日、終えた。その中で、「この地区の演劇は、中学校では盛んだけど、高校では盛んではない。中学校で頑張った子たちが、高校に上がってがっかりして、演劇から離れてしまう」と話を聞いた。それを聞いて、とても残念な気持ちになった。
個人的には演劇の良さは、他競技ではそのチーム内で実力によってどうしてもついてしまう序列が存在せず、それぞれの良さや個性によって、役割が一人一人に与えられるところにあると思う。そうした場所があることは、きっと良いことであると信じている。このような良き空間が、「その高校の実力が劣っているから」というだけで避けられてしまって良いのだろうか。
私たちが目指すべき生徒は、自分の役割を発揮できる場を喜び、そこで力を発揮しようとする生徒の育成を目指すことではないだろうか。つまり、「顧問」や「高校のそこの実力」などという可変的なものではなく、自分がやりたいと思えることを、自分で発揮しようとできる生徒を育成することである。
そのためには、顧問が演出をつけて良い劇を作るのでは良くない。生徒自身が、予定を考え、そこまでに必要なものを考え、時に大人に相談しながら、自分たちの力で一つの舞台を作りあげる、という経験をすることである。
顧問の異動によって「強さ」が変わるという時、それは生徒の力を引き出せるか否かの指導力の如何であって、その競技の指導力の如何ではあってはいけない。
私たちは、生徒が「高校に行ったらレベルが高くなくて、続けるのをやめました」と言われた時、自分の指導が足りなかったと思うべきなのではないだろうか。
そもそも、部活動指導をどこまで教員がやり続けるのか、はまた別の問題として。