佐倉城址公園
両袖に立っているのは、向かって左がタウンゼント・ハリス、右が堀田正睦。日米修好通商条約調印の御両名であります。場所は堀田氏が代々治めていた下総国佐倉藩の城址。今は公園として、市民の憩いの場になっています。面積も広く起伏があるので、今はここが病後の健康維持を兼ねた散策の拠点(時折浮気をして他所のお庭に乱入する)。毎回順路を変え、与太与太と歩き回ります。天守閣の復元をという声もありますが、小さな天守を中途半端に再建し広々とした本丸跡の広場が失われるのはいかがなものかというのが個人的な考え。かつて薪能やコンサートが行われたこともあり、多目的な人々の「集い」の場としての活用を図っていただきたい。
城址公園の顔は、なんといっても国立歴史民俗博物館。「フォークロア」の方の「みんぞく」です。レプリカやジオラマなどを駆使した館内は、じっくり歩けば一日かけることもできる広さ。企画展も民俗学ならではの個性に富んだものばかりで、リピーターの多さも頷けます。
明治維新でほとんどの建造物が取り壊された中で残っている薬医門。公園からは裏手になり、本丸へは急坂を登るかたちになりますが、出丸の遺構などが見られるので、城好きの方はぜひお立ち寄りを。
明治から第二次世界大戦までは、陸軍の歩兵連隊がおかれていました。子供の頃(1960年代)は、廃虚となった木造の兵舎がまだ放置されていて、窓から中を覗くと当時の生活用品や雑誌らしきものが散乱し、怖いモノ見たさの子供心を大いに刺戟したものです。上の写真は正岡子規が佐倉の地を訪れたときに読んだ句碑。「常磐木や冬されまさる城の跡」
四季折々に見せる顔も散策の愉しみです。公園には約50品種1000本以上の桜がその美麗な姿を競います。今年は中止になりましたが、歴博のホールから屏風に見立てた巨大なガラスにライトアップされる馬出し空堀の桜は掛け値なしに見ものです。秋には紅葉、6月には菖蒲田に多くの人が訪れます。
近くには規模は小さいながらも武家屋敷の通りもあり、往時の面影をしのばせます。足を延ばせば、旧堀田邸や藩校をその前身とする佐倉高校(本館は国登録有形文化財、地域交流棟では日本初の蘭和辞典「ハルマ和解」も展示。長嶋茂雄のコーナーも)、順天堂記念館などもあります。また、坂が多く「くらやみ坂」などほとんどの坂に名前がついています。歴史好きの中にはこの坂めぐりをする方もいるようで。
街歩きの立ちより処に、もっといいカフェとかはないものかしらと、この地元ジジイがちょっと嘆いてはいますが、これから散策にはいい季節であります。お暇ならいかが。
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