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【蘭学のまち】佐倉高校・地域交流施設
前回(昨日)、順天堂記念館の駄文をアップし茶でも飲むかと夕刊を広げたら、そっくり同じような書き出しの記事を見つけてしまった。朝日新聞夕刊に長期連載中の「マダニャイとことこ散歩旅」といい、古い街道筋のあれこれを紹介していくもの。江戸から下って成田街道を紹介中で、そろそろ佐倉に来るかなと思ってはいたものの何というタイミングで載せてくれるのだ。まるでパクったみたいではないか。テキは同じ医学でも解剖を行った刑場跡で攻めてきたが。地元の紹介で「東の佐倉」で「蘭癖・堀田正睦」という入り方はもうやめよう。何だかあまりに定石通りの配球をして裏目に出たキャッチャーの気分だ。
夕刊が来ない今日のうちに本題を片付ける。順天堂記念館からものの10分も歩くと、千葉県立佐倉高校に着く。遠い昔の非礼をそっと詫びつつ入ると洋風の木造校舎に迎えられる。1910年建築で国の登録有形文化財になっている(中の観覧は不可)。近鉄宇治山田駅や現浅草駅など停車場建築の第一人者として知られる久野節(くの・みさお)という方の設計。通っていた頃には何の感慨も持たなかったが、今こうしてみると古いものだけが持つ品格は確かにあるのだと思う。千葉そごうの9階にはこの建物を模してテナントが入っている一角がある。
佐倉高校は1792年に創設された佐倉藩の藩校に始まる。古すぎて未だに実感がわかない。寛政の改革の頃「白河の清き魚も」の松平定信である。そんな藩校時代からの史料や扁額などを展示している地域交流施設という建物が敷地内にあり、土日祝日の午後、一般に開放されている。写真を撮ってもよいとの事で控えめに何枚か撮る。
兵学書や辞書、植物学など数々の興味深い史料の中で日本初の蘭和辞書「ハルマ和解」はその筆頭。現存6冊ともいううちの1冊が佐倉高校に所蔵されている(展示は複製)。収蔵庫には1万部以上の古書籍が保存され「鹿山文庫」と名付けられている。父親は生前、この古書の調査・整理に携わっていた。これらの史料を眺めていると、子供の頃「オランダ語を訳すのに一旦英語に訳さないとならない」と言って悪戦苦闘していた父の姿を思い出す。
戦前、全国の旧制中学では空の時代に向けて「滑空部」なるものが創られ、グライダーの大会などが開催されていたらしい。今、佐倉高校には滑空部ならぬ「カヌー部」がある。
「永久に不滅な」この人のコーナーもある。今は藤木直人から、はたまたバンプ・オブ・チキンか。近く芸能音楽コースが新設されるという話は、ない。
よく晴れた土曜の午後だったが、観覧者は他に誰も来なかった。入館時に署名を求められているので、万が一の発覚を恐れて(何を?)一礼しそそくさと退館する。