旅人への憧憬
写文集が好きだ。それが「旅」ならなおいい。果たせなかった旅にこっそり随行して、時にはバックパックの中で荷物と揺られながら、時には肩にそっと乗って旅人と同じ風景を見ながら呟きや嘆息を聞けるのだから、こんな贅沢なことはない。
20代の頃、そんな旅の憧れはやっぱり「アジア」で、スタイルは「放浪」だった。せいぜいがフリープランのパックツアーに行く位の小市民にとって、さすらいは未完のテーマなのだ。藤原新也のこの3冊は、当時のプチプル小心者の旅心を揺さぶるに十分だった。
いい写文集は、文章も魅力的だ。対象との絶妙な距離、感情を表に出すことなく心象の中に分け入る。ガンジスの河岸で、ラマ教の寺院で、トルコの娼窟街で、肩にこっそり乗ってついてきた自分に「どうだ、人間ってもんは」と聞いてくる。藤原新也の写真と文は、人間はいかに「正と邪」「聖と俗」「生と死」のあわいをたゆたう生きものかということを教えてくれたように思う。
それこそ「放浪」なのだろう。「彷徨」でもいい。それが人の「行(ぎょう。修行としての)」なのか「業(ごう)」なのかはわからない。逃避行でも、移動する限り「場所」は現れる。形而上であれ下であれ、どんな時代でも旅人の眼は持っていたい。