見出し画像

「ポップス歌手の耐えられない軽さ」

果して「プラハの春」はやって来るのだろうか(何の事やらと思った方は聞き流してください)。何カ月も前に購入してやっと読み始めた。まだ20ページである。何だ読んでいないのかという向きもあると思うが、別に書評をする気はないので別にいいのだ。まっとうな書評はすでに角田光代などがしているし。

のっけから下ネタをこれでもかと連射してくる。しかしその言葉は「熱くて」「太い」。この頃ちょっと「おさまってきちゃったかな」感が否めなかっただけに、冒頭で自らの最近の守備的姿勢を反省もしていて少し心強い。

桑田佳祐は「お下品」な所作がうまい。知性がないとただの「お下劣」になる。そういう芸人ばかりが跋扈していると思うのは気のせいだろうか。彼の「お下品」に隠された時代の観察眼は、時に冷徹で時に温かく、はっとさせられる事が多いのだ。ライブパフォーマンスではじける彼の姿や軽快なポップナンバー(もちろん彼の最大の魅力ではある)を何気に眺め聞き流しているだけでは、奥までじんと感じることは出来ない。甘い薬に毒を盛る桑田佳祐という策略家が率いるサザンオールスターズが「国民的ロックバンド」などと呼ばれることには、だからずっと違和感があるのだ。

桑田佳祐の音楽の魅力は、ロックか歌謡曲か、パンクがどうのフォークがどうのというくだらない垣根を飛び越えて「ポップス」を作り続けていることにあると思う。中島みゆきの歌にあるようにブルース・スプリングスティーンを演歌として聴く人がいていいし、私事で言えば「夜桜お七」はロックである。

ローリング・ストーンズを資本主義にどっぷりつかった見せかけのレジスタンスというような音楽観の人は、この本も「どうせミュージシャンの与太話をまとめたタレント本の類だろう」位に高を括っているかも知れないが。ともあれ、「ポップス歌手の耐えられない軽さ」はまだほとんど読んでいないのだ。果して「プラハの春」はやって来るのだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!