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3.11のHotel California

こんな時でも腹は減る。軒並み店が閉まっている中で吉野家が開いていた。ここは駅からさして遠くない帰宅困難者を受け入れている市民会館の目の前。2011年3月11日夜の船橋。浦安の職場から上司の車で何時間かかっただろうか。道の両脇のマンホールは液状化で噴水状態だ。容易に進まない渋滞の中で、どこか呑気でいられたのは一人ではないからだろう。千葉方面へ帰宅するグループは船橋で三々五々あとはそれぞれで何とかする事になった。

「長旅」の疲れと空腹を満たしていると、あとから入ってきた客が炊く米がもうないと帰されていた。ラッキー。市民会館では市の職員の方だろう、毛布とパンを渡され中に入る。ホールや廊下はすでに壁際に人がずらっと並んで休息をとっている。図らずも同行となった同僚の女性と適当な場所に落ち着く。みな一様に静かだ。携帯電話は全く通じないので、家への連絡もままならない。何度もトライし諦めて他愛もない雑談で気を紛らわせる。

女性が「音楽でも聴きますか」といい、イヤホンの片方を差し出す。「何を聴いてるの」と尋ねるとイーグルスという。ボブ・ディランもお好みらしい。彼女はまだ20代半ば、年寄り臭い事甚だしいが、職場では五十絡みの親父に優しく接してくれる貴重な女性である。あまりにも有名な「ホテル・カリフォルニア」のイントロが耳に入ってくる。

-welcome  to  the  Hotel California
Such  a  lovely  place-  

大津波が日本を襲っていたことを知ったのは、トイレに行こうと居場所を離れた時だ。大きなスクリーンに呑み込まれていく建物が映し出されている。それが今日日本で起きた事だと知るのに幾ばくかの時間を要した。しばし画面に見入るが現実感がない。ここは千葉県船橋市の公共施設で、確かに自分は大地震で家に帰れない。職場で体験した揺れは、生まれてこのかた経験したことのないものだったが、今ここに映し出されている情景との接点が(頭では理解しても)見つからない。

”We  are  programmed  to  receive
You  can   check  out   any  time  you  like
But   you  can  never  leave!"

ぼんやりとした頭のまま夜が明け、やがて昼頃には鉄道も動き出した(なんて早いんだ!)。家に帰ると思っていたより中は「無事」なようだ。すると妻に「本棚から何から散乱して大変だった。どうにか一人で戻したが、連絡も取れずに不安だった」と告げられた。

11年目の今年は、去年まで続いていた別刷も新聞には挟まれていなかった。10年はいい「節目」だったのだろう。それを咎める気もないが、当事者はそうたやすくチェックアウトできるものではない。自分はと言えば、相も変わらず復興五輪という言葉の「まやかし」に腹を立てたり、電力会社の冷血ぶりに憤ったりしてはいるが、それも3.11という日の出来事が人生のほんの一つのエピソードに矮小化してしまわないように、怒って見せているだけなのかも知れない。

あの日(そしてその後も)、震災によって失われた多くの命に改めて哀悼の意を捧げます。そして、今もその苦しみから脱せずにいる人々がいる事を忘れないように。


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