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【蘭学のまち】東の佐倉・順天堂記念館

「西の長崎、東の佐倉」と聞いてピンとくる人はかなりの歴史好きか。蘭癖と呼ばれた幕末の佐倉藩主・堀田正睦は鎖国の日本にあって蘭学や洋式の兵学を積極的に取り入れ、多くの人材を佐倉に招いている。その一人佐藤泰然が開いたのが順天堂。安政年間に建てられたものが、記念館として資料とともに展示公開されている。当時、蘭学を学ぶのには長崎か佐倉に行くしかないと言われたことによるそうで、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」にも登場する。決して長崎と張ろうなどと大それたことを言っているのではないので平にご容赦を。

自宅からほど近く、もう十数年(それ以上か)も訪れていなかった。ふと思いつき本日の散歩の目的地に定める。ご子孫はまだ隣の敷地で開業されている。すでに他界されている先代には子供の頃に喘息の治療でお世話になった。確か当時盛んに行われていた「脱感作療法」の試みで通ったような。どんな治療だったかはもう覚えていない。

順天堂復元模型

入館料百円也。古文書の撮影は禁止とある。当時は広大な敷地に、全国から多くの若者が学びに来て寄宿生活をしていたらしい。うちわけをみると九州からも数人、肥前の国からも来ている。なぜにあなたは長崎ではなくここを選んだ?

順天堂手術道具

そのころの手術道具。絶対に大工道具である。順天堂ではまだリスクが高かった麻酔を使用せずに、腫瘍の摘出など数多くの手術が実施された。4年前の心臓手術がこんな道具でやられた日には(んなわけない)、ツンと一突きされただけで阿鼻叫喚ほどなくショック死間違いなしではないか。ちなみに佐藤泰然は、長崎での実施の半年後に種痘をこの佐倉で行っているから、進取の精神の高さは語るに及ばない。

東京の順天堂は、二代目の佐藤尚中によって開かれたもの。三代目の進はドイツに留学しアジア人初の医学博士に、その妻志津は女子美術学校の校長になっている。

順天堂は、ドラマ「仁」のモデルになったということでも有名。ついでにRPG「天倫の桜」は佐倉市が企画協力したご当地ゲーム(看板があちこちにあるが、一度もやったことはない)。この土壌を育んだ佐倉藩の学問なるものを知ることの出来る施設も、順天堂から歩いて行ける距離にある。こちらもかなりのご無沙汰だ。ぶらぶらと歩いていくことにする。

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