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水島新司さん、やすらかに。

漫画家・水島新司さんが逝ってしまった。82歳。「巨人の星」で野球に目覚めた小学生が、根性原理主義に陥らず、とりわけ東国で支配的だった巨人軍史観から早々に脱却できたのは、他でもない水島新司というひとのせい(もとい、おかげ)である。

「ドカベン」で野球のルールを覚えたという人はプロ野球選手にも多い。その広く深い知見に専門家も一目置いていたのは周知の通り。キャッチャーを主人公に据えたことでその見識は想像の翼を大きく広げた。奇想天外な展開も、そこに確固とした裏付けがあればこそ。だから殿馬の「G線上のアリア」や「白鳥の湖」が生きる。野球はアタマですることなのだ。そして、1人の突出した才能で勝てるものでもない。「男どアホウ甲子園」では、東大で野球をすべく入学試験で見事なカンニングの連携プレーを見せる。

のんだくれの景浦安武を生かせる監督はこの人しかいないと入団許可の打診をしたのが、当時南海ホークスのプレイングマネージャーだった野村克也。入団許可の条件は「ホークスのファンになること」当時大阪球場は閑古鳥が鳴いていた。「それではセは阪神なのでパは南海に」「だめだ。ホークス1本にしろ」で長い長い連載が始まった。実在の選手が続々登場し、誰も彼もが人間臭いことこの上ない。「ビッグコミックオリジナル」に連載されたこちらは野球選手のみならず市井の人の哀歓を描いた人間ドラマだ。野村監督といえば「野球狂の詩」に水原勇気を登場させるにあたって、女性がプロ野球で通用するためのアドバイスもしている。

1度だけ水島新司さんを拝見したことがある。東京四谷の居酒屋あぶさん。当時職場が近くにあり、同僚数人と予約したのだ。当日何と隣の座敷席ではロッテの選手たちが陣取って、立花コーチのニューヨーク・メッツへの壮行会をしているではないか。初芝選手も諸積選手もいる。その奥のテーブル席であのダンカンと何やら熱い野球談議を交わしていた。

ほんの少し前に「つば九郎」で初笑いをしたと書いたというのに、今度は悲しいニュースだ。還暦すぎたばかりで年寄りぶるのはいかがなものだが、三つ子の魂を作った人が次々とこの世を去るのはやはりつらい。「向こう」にはノムさんもいますね。水島新司さん、改めてご冥福をお祈りします。



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