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「午後の最後の芝生」

「午後の最後の芝生」を初めて読んだのは、おそらく1986年だ。どうしてそんな断言ができるかというと、当時勤めていた会社の同期の女性に「シズちゃん、読んでみる?」といって手渡されたのがこの作品が収められている「中国行きのスロウ・ボート」という村上春樹の文庫本だったのだ。中公文庫から出たその短編集は初版が1986年、今手元にある文庫本は1988年の第六版となっていて、この時はすでに転職してしまっている。

坂本龍一やARB(石橋凌!)が好きだった彼女がどういう経緯で本を貸してくれたのかは覚えていない。当時レコードやCD(CDの売り上げがレコードを抜いた頃かな)を貸し借りしていたように、新しいキャッチーなアイテムの一つとして薦めてきたんだろう。同期の中でもウマが合い、何かと2人で行動することが多かった。村上春樹好きの罠にかけたのは彼女だったのかも知れない。

そんな事はどうでもよくて「午後の最後の芝生」が、安西水丸画伯の絵で瀟洒な絵本になって帰ってきた。鬱陶しい帯なんかついていないのがいい。スイッチ・パブリッシング発行。「僕」が十八、十九の頃にやっていた芝刈りのアルバイトと、その最後の日の話だ。音楽とフードと小洒落たいくつかのアイテム、いきなりステーキ、じゃなくていきなりのエロモードにも何故かさわやかな読後感。こういうthat's村上春樹的小品に、水丸画伯のやる気を見せずに何かを企んでいるようなタッチはよく似合う。♪とぼけた顔してババンバン、なのだ。

物語の中心は、最後のアルバイト先になった丘の中腹のとある家での出来事だ。芝を刈る「僕」とその家の女主人のちょっと変わった、でも何かが起きるわけではないやりとり。white spaceの多いイラストレーションからは、風がやさしく吹いてくる。案外いつまでたっても忘れない ”少しだけ大きな「些事」” 、誰もがきっとそれぞれの「午後の最後の芝生」を持っているんだろうな、とぼんやり思う。







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